亀ヶ岡遺跡 (かめがおかいせき)
【概説】
青森県つがる市に所在する、縄文時代晩期を代表する集落および墓地遺跡。
極めて精巧な技術で作られた亀ヶ岡式土器や、独特の造形を持つ遮光器土偶が出土したことで知られ、縄文文化の到達点を示す遺跡である。
縄文美術の極致を示す出土品
亀ヶ岡遺跡から出土する遺物は、その美術的価値の高さから、縄文美術の最高峰と評される。特に有名なのが、大きな目が特徴的な遮光器土偶(重要文化財、東京国立博物館蔵)である。この土偶の目は、北方エスキモーが雪の反射を防ぐために用いるゴーグル(遮光器)に似ていることからその名が付いた。また、赤色や黒色の漆が塗られた漆器や、複雑な幾何学文様が施され、器壁が極めて薄く焼き上げられた注口土器(急須のような形をした土器)など、高度な工芸技術と美意識に裏打ちされた精神文化の高さを示す遺物が多数発見されている。これらは、単なる実用品にとどまらず、呪術的・儀礼的な用途に用いられたと考えられている。
広範なネットワークと「亀ヶ岡文化」の展開
亀ヶ岡遺跡を中心とする文化様式(考古学的には「大洞(おおぼら)式土器文化」と呼ばれる)は、縄文時代晩期において、東北地方を中心に北海道南部から関東、さらには中部・近畿地方にまで強い影響を及ぼした。亀ヶ岡で製作された、あるいはその様式を模倣した土器や土偶は西日本にまで流通しており、この時代に日本列島規模での広域な交易・交流ネットワークが存在していたことを物語っている。また、遺跡からは新潟県糸魚川周辺を産地とするヒスイや、秋田県などから運ばれた天然アスファルトなども出土しており、遠隔地との活発な交易を支える拠点集落であったことが伺える。
江戸時代からの注目と世界遺産への登録
この遺跡は古くから知られており、江戸時代の藩政期には津軽藩主の収集対象となり、知識人・菅江真澄の旅日記にもその出土品に関する記録が残されている。昭和時代に入って組織的な学術調査が進み、1944年には国の史跡に指定された。さらに2021年には、亀ヶ岡遺跡を含む17の遺跡群が「北海道・北東北の縄文遺跡群」としてユネスコの世界文化遺産に登録された。これにより、農耕社会へ移行する前段階の「洗練された狩猟・採集・漁労社会」の精神世界や高度な技術を示す世界的な遺産として、改めてその歴史的価値が位置づけられることとなった。