農業全書

宮崎安貞が著し、農作物の栽培法などを総合的に体系化して広く読まれた農書は何か。
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重要度
★★★

農業全書

1697年

【概説】
江戸時代前期の1697年(元禄10年)に刊行された、宮崎安貞による農書。農作物の栽培法から農具、家畜の飼育に至るまでを総合的に体系化したものであり、江戸時代を通じて広く読まれ、日本の農業技術の発展に多大な貢献を果たした。

『農業全書』成立の背景と宮崎安貞

『農業全書』の著者である宮崎安貞(みやざきやすさだ)は、筑前国福岡藩の藩士であったが、若くして職を辞して農村に隠棲し、自ら農業に従事した人物である。彼は農業技術の向上に強い関心を抱き、約40年にわたって西日本を中心に諸国を巡り、各地の先進的な農業技術や特産物の栽培法を見聞した。

安貞が本書を著すにあたって大きなモデルとしたのが、中国(明)の徐光啓が編纂した『農政全書』である。彼はこの中国の先進的な農学書を熱心に研究しつつも、それをそのまま引き写すのではなく、自らの実地調査や栽培実験で得た知見をもとに、日本の気候風土に適合した実践的な農学として再構築しようと試みた。さらに執筆にあたっては、同郷の大学者である貝原益軒(かいばらえきけん)やその兄の好古から多大な支援と校閲を受け、安貞の没年である1697年(元禄10年)に京都で全11巻として刊行された。

体系的な内容と実践的特徴

本書の内容は、第1巻の「農事総論」に始まり、五穀(米・麦・アワ・ヒエ・キビ)をはじめ、蔬菜(野菜)、果木、草木、薬草など数百種類に及ぶ農作物の栽培法を詳細に解説している。さらに、農具の改良や家畜の飼育法、病害虫の駆除に至るまで、農業に関するあらゆる知識が網羅されていた。

最大の特徴は、精神論や迷信を排し、合理的かつ実証的な視点が貫かれている点である。安貞は土地の性質を見極めてそれに適した作物を作る「適地適作」の重要性や、金肥(干鰯や油粕などの購入肥料)を効果的に用いる集約的な農業技術を提唱した。単なる理論の紹介にとどまらず、農民が現場で直ちに実践できるよう、平易な仮名交じり文で書かれ、図解も豊富に取り入れられていた。

江戸時代の社会変動と歴史的意義

『農業全書』が刊行された17世紀後半(元禄期)は、17世紀前半の大規模な新田開発の時代が一段落し、農業の質的な転換が求められていた時期である。都市の発展に伴い、農村では自給自足の農業から、商品作物(四木三草など)を市場へ出荷する商業的農業への移行が進展していた。このような社会状況において、収穫量の増大や換金性の高い作物の栽培法を求める豪農や村役人層にとって、本書はまさに待望の実用書であった。

本書はまたたく間にベストセラーとなり、江戸時代を通じて何度も再版・模倣され、全国の農村に普及した。日本の農書といえば、それ以前は『清良記』(土免録)に見られるような局地的な農事記録が主であったが、『農業全書』によって初めて日本独自の「農学」が体系化されたのである。のちに江戸時代後期に活躍する大蔵永常(おおくらながつね)などの農学者にも多大な影響を与えており、日本近世農業史における最高傑作にして不朽の金字塔と評価されている。

農業全書 (岩波文庫 青 33-1)

江戸期の知恵が凝縮された農学の金字塔であり、持続可能な自給自足の精神を今に伝える貴重な古典の教本。

日本農書全集〈第12巻〉農業全書 (1978年)

先人の緻密な観察眼と技術が網羅された日本農業の原点ともいえる一冊で、歴史的価値も極めて高い専門書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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