上杉憲忠 (うえすぎのりただ)
1433年〜1455年
【概説】
室町時代中期の武将であり、山内上杉家当主および関東管領。鎌倉公方である足利成氏との対立の末に暗殺され、東国における戦国時代の幕開けとなる「享徳の乱」の引き金となった人物。
鎌倉公方と関東管領の深い確執
関東管領である上杉憲実の長男として生まれた上杉憲忠は、元服に伴い、鎌倉公方である足利成氏を補佐する関東管領に就任した。しかし、両者の間には解消しがたい深い怨恨が存在していた。成氏の父である前鎌倉公方・足利持氏は、かつて憲忠の父である憲実と対立した末に「永享の乱(1438年)」で滅ぼされていたからである。幕府の意向により鎌倉公方に復権した成氏と、その監視・補佐役を務める山内上杉家の憲忠との関係は、当初から極めて緊迫したものとなっていた。
憲忠暗殺と「享徳の乱」の勃発
1454(享徳3)年12月、足利成氏は対立が絶えなかった憲忠を西御門の自邸(結城館)に呼び出し、近臣の野田持朝らに命じて謀殺した。この不意打ちによる暗殺事件は関東に決定的な分裂をもたらした。激怒した上杉一族は、室町幕府の支援を受けて成氏への報復を開始し、これに関東の諸豪族が二分されて加担したことで、約30年にわたる大乱である享徳の乱が勃発した。これにより、関東地方は京都の応仁の乱に先駆けて、独自の戦国時代へと突入していくこととなる。