出雲国

現在の島根県東部にあたり、月山富田城を拠点とした尼子氏が支配した国はどこか?
カテゴリ:
重要度
★★

出雲国 (いずものくに)

7世紀後半〜1871年

【概説】
山陰道に位置する令制国の一つで、現在の島根県東部に該当する地域。古代における出雲神話や巨大な青銅器文化の舞台であり、戦国時代には尼子氏が月山富田城を拠点として中国地方に一大勢力を築いた要衝の地である。

古代出雲の独自性と大和朝廷との関わり

出雲国は古代日本において、大和(近畿地方)と並ぶ極めて重要な文化的・政治的拠点であった。『古事記』や『日本書紀』などの記紀神話において、国譲り神話や素戔嗚尊(スサノオノミコト)の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治など、出雲を舞台とする多くの神話が描かれている。これらは単なる創作ではなく、古代において大和朝廷とは異なる強大な政治勢力が存在したことを投影していると考えられている。

事実、荒神谷遺跡(出雲市)からの大量の銅剣・銅鐸の出土や、加茂岩倉遺跡(雲南市)からの銅鐸出土は、考古学的に出雲が独自の青銅器文化圏を形成していたことを実証した。大和朝廷による統一が進むと、出雲は朝廷の支配下に入り、神亀3年(726年)頃には『出雲国風土記』が編纂された。これは完本に近い形で現存する唯一の風土記であり、当時の独自の信仰や地名の由来を知る上で極めて貴重な史料となっている。また、出雲国造が管轄する出雲大社(杵築大社)は、大国主神を祀る大社として朝廷からも重んじられた。

戦国期の尼子氏と月山富田城の興亡

中世後半、室町幕府のもとで出雲守護を兼ねた京極氏の守護代であった尼子経久が自立し、出雲国を掌握した。経久は出雲東部の能義郡(現在の島根県安来市)にある山城・月山富田城(がっさんとだじょう)を本拠地とし、巧みな軍略と外交によって中国地方11カ国に守護領国を広げる一代の英傑となった。

出雲国は、日本海交易の拠点となる港湾や、日本有数の「たたら製鉄」による鉄資源を有しており、これが尼子氏の強大な軍事力と経済力を支えた。しかし、永禄年間に入ると、周防・長門から台頭した毛利元就の軍勢に圧迫されるようになる。永禄9年(1566年)、毛利氏の兵糧攻めに耐えかねた尼子義久が月山富田城を開城して降伏し、尼子氏は一時滅亡した。その後、尼子勝久や山中幸盛(鹿介)らによる尼子氏再興運動の舞台となったが、最終的には織田信長や豊臣秀吉の勢力伸張、そして毛利氏の支配の定着によって、出雲は近世への移行期を迎えることとなった。

近世の支配と「たたら製鉄」の展開

関ヶ原の戦い後、出雲国は遠江国から移封された堀尾吉晴の支配下に入った。吉晴は月山富田城が近世の領国経営には不向きであると判断し、宍道湖東岸の地を選んで松江城を築城、城下町を整備した。これが現在の松江市の基礎となる。堀尾氏が改易された後は京極氏が入り、さらに寛永15年(1638年)には徳川家康の孫にあたる松平直政が入り、以後は明治維新まで越前松平家が治める松江藩(一部は広瀬藩・母里藩の支藩)として安定した。

近世の出雲国では、中国山地で盛んに行われたたたら製鉄が松江藩の財政を大きく支えた。奥出雲地方の砂鉄と豊富な木炭を利用した製鉄技術は、日本刀の原料となる「玉鋼(たまはがね)」をはじめとする高品質の鉄を全国に供給し、出雲国の経済的自立性を高める重要な産業として近代まで引き継がれた。

出雲と大和――古代国家の原像をたずねて (岩波新書)

神話と考古学の視点から出雲と大和の関わりを解き明かし、古代国家誕生の謎に迫る歴史探究の書。

詳説日本史図録

教科書『詳説日本史』の内容を、豊富な写真や図解、地図でビジュアル化した超定番の図録。文字だけでは理解しにくい歴史の流れや文化財のディテールが視覚的に頭に入る。

最終更新:2026年6月20日 @ 14:54

日本史一問一答(ランダム)

Q. 幕府からアイヌとの交易独占権を認められ、米がとれないため無高とされた大名は何氏(何藩)か。
Q. 江戸時代前期に、言葉遊びや滑稽さを重んじる貞門派の俳諧を創始した人物は誰か。
Q. 厳格な規律を持ち、対抗宗教改革の中心として日本やアジアへのキリスト教布教を積極的に行ったカトリックの修道会は何か?