野尻湖遺跡

重要度
★★

野尻湖遺跡 (のじりこいせき)

約5万年前〜1万5000年前

【概説】
長野県上水内郡信濃町の野尻湖湖底および湖畔に位置する、更新世後期(旧石器時代)の代表的な遺跡。湖底からナウマンゾウやヤベオオツノジカなどの大型哺乳類の化石と、人類が使用した旧石器が同じ地層から同時に発見(伴出)されたことで著名である。当時の狩猟・解体技術や、氷期における日本列島の自然環境と人間の営みを解明する上で極めて重要な考古学的価値を有している。

ナウマンゾウと狩人の遭遇:キル・サイト(解体場)としての意義

野尻湖遺跡の最大の特徴は、ナウマンゾウヤベオオツノジカの骨格化石とともに、それらを解体したと考えられる旧石器時代人の石器や骨器が同じ地層(野尻湖層)から発見された点にある。これは、人類がこれら大型獣を狩猟し、その場で解体・加工していたこと(キル・サイト=解体場)を強く裏付けるものである。

出土した遺物には、肉を削ぎ落としたり皮を剥いだりするための剥片石器や、ナウマンゾウの牙や骨を加工して作られた骨器(ヘラ状骨器など)が含まれている。大型動物の硬い骨や牙を道具として再利用していた事実は、当時の人類が持っていた高い技術力と、動物資源を無駄なく活用する知恵を示している。

氷期の自然環境とアジア大陸とのつながり

野尻湖遺跡が形成された約5万年前から1万5000年前は、地球規模の氷期(最終氷期)にあたり、現在よりもはるかに冷涼な気候であった。当時は海水面が約100メートル以上も低下していたため、日本列島はアジア大陸と陸続き、あるいは極めて狭い海峡を挟む程度の距離にあり、大型動物が移動しやすい環境であった。

北方からはマンモスが、南方からはナウマンゾウやオオツノジカが日本列島へと渡来し、それらを追う形で旧石器時代人(新人/ホモ・サピエンス)も日本列島に到達したと考えられている。野尻湖周辺は、豊富な水と豊かな植生に恵まれ、大型獣やそれを狩る人間たちにとって格好の活動舞台(オアシス)であった。同遺跡は、東アジア規模での気候変動と、それに伴う哺乳類および人類の移動・適応プロセスを具体的に示す一級の史料なのである。

「野尻湖方式」:大衆的共同研究がもたらした学術的成果

野尻湖遺跡の歴史は、1948年に地元住民がナウマンゾウの臼歯化石(当時は「湯たんぽの化石」と呼ばれた)を発見したことに始まる。その後、1962年から本格的な発掘調査が開始されたが、この調査は日本の考古学・地質学において画期的な手法をもたらした。

それは、専門の学者だけでなく、全国から集まったボランティア、教師、学生、地元の小中高校生、市民が一体となって発掘作業や分析を行う「野尻湖方式」と呼ばれる民主的な共同研究スタイルである。地質学、古生物学、考古学、花粉分析など、多角的な学際的共同研究が市民参加のもとで進められた結果、日本の旧石器時代研究における自然科学的分析の精度は飛躍的に向上することとなった。

野尻湖のナウマンゾウ―市民参加で氷河時代をさぐる

市民調査から解き明かされたナウマンゾウの生態と、氷河時代の野尻湖畔で繰り広げられた人類の営みを辿る調査記録。

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日本史一問一答(ランダム)

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