ゴア
1510年
【概説】
インド西海岸に位置する港湾都市。1510年にポルトガルによって占領され、同国のアジア貿易ネットワークおよびキリスト教(カトリック)布教活動の最大拠点となった地。
ポルトガル海上帝国の「東洋の首都」としての発展
15世紀末のヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓以降、ポルトガルはインド洋の貿易主導権を握るべく武力による拠点の確保を推し進めた。1510年、インド副王アフォンソ・デ・アルブケルケがデカン高原のイスラーム国家ビジャープル王国からゴアを奪取。これにより、ゴアはポルトガル領インドの首府となり、軍事・商業・宗教のすべての権能が集約されたアジア支配の総拠点となった。
ポルトガルはゴアを起点として東方へ進出し、マラッカ、マカオを次々と占領・租借して、最終的に日本の長崎へと至る広大な定期航路を確立した。ゴアは、アジア各地から集まる香辛料、中国産の生糸、そして日本から輸出される大量の銀が交差する、一大中継貿易港として繁栄を極めることとなった。
日本布教の起点とキリスト教化
ゴアは商業拠点であると同時に、カトリック教会の東アジア布教における総本山でもあった。1530年代以降、ゴア大司教区が設置され、数多くの修道院や聖堂が建設されて「東洋のローマ」と称される聖堂都市へと変貌を遂げた。
1549年に日本にキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルも、このゴアから出航して日本へ渡った。ザビエルは日本での布教を終えた後、一度ゴアに戻り、中国布教の途上で没したが、その遺骸は現在もゴアのボン・ジェズ教会に安置されている。さらに、九州のキリシタン大名が派遣した天正遣欧少年使節も、ヨーロッパへの往路および帰路においてゴアに滞在し、インド副王らから熱烈な歓迎を受けている。このように、ゴアは安土桃山時代の日本と西欧社会を結ぶ、最も重要な中継地であった。