加納 (かのう)
1567年
【概説】
美濃国厚見郡(現・岐阜県岐阜市)に位置する地名。1567年(永禄10年)に織田信長が美濃攻略を遂げた直後、初めて本格的な「楽市令」を発布した商業都市として日本史上に名高い。
信長の美濃進出と加納の地政学的役割
戦国大名・織田信長は、1567(永禄10)年に美濃国の斎藤龍興を破って稲葉山城を攻略した。信長は城の名を「岐阜城」と改め、新たな本拠地として城下町の整備に着手した。その際、岐阜城の南方に位置し、東山道などの主要街道が交差する交通・流通の要衝であった加納(当時は加納総合社領の門前町・市場町)に目をつけた。
信長は美濃支配を安定させ、軍事・経済の基盤を固めるため、領国における流通の活発化を急ぐ必要があった。そこで、すでに中世末期から商業活動が盛んであった加納に対して、美濃入国後きわめて早い段階で特権的な法令を発給し、新体制下での都市整備を断行したのである。
加納楽市令の内容と城下町経営の画期
1567年10月に発給された「加納楽市令」は、信長が初めて本格的に発布した楽市・楽座政策として知られる。その主な内容は、第一に加納の市場における諸役(税)の免除、第二に新参・古参を問わない自由な商売の保証、第三に「押買(威圧的な安値買い)」や借金の強制取り立てなどの違法行為の禁止であった。
この政策は、それまで市場を独占していた既存の特権商人(座)の既得権益を否定し、多様な商人の参入を促すことで市場を活性化させる画期的な試みであった。近江国の戦国大名・六角氏が石寺新市(1549年)で展開した楽市政策の流れを汲みつつも、信長はこれをさらに推し進め、後に安土城下で展開される「安土楽市・楽座令」へと発展させていくこととなる。加納での成功は、織田政権における経済・都市政策の強固な出発点となった。