姫路城(白鷺城) (ひめじじょう(しらさぎじょう/はくろじょう)
【概説】
播磨国(現在の兵庫県姫路市)に位置し、白漆喰総塗籠の美しい外観から「白鷺城」の美称を持つ平山城。関ヶ原の戦い後に池田輝政によって大規模に改修され、西国大名に対する重要な軍事・政治的拠点として機能した。日本の城郭建築の最高峰とされ、国宝やユネスコの世界文化遺産に登録されている。
中世の砦から秀吉の軍事拠点へ
姫路城の歴史は古く、南北朝時代の1333年(元弘3年)に赤松則村(円心)が砦を築いたことが起源とされる。その後、戦国時代には小寺氏の家臣であった黒田氏が城主を務めていた。1577年(天正5年)、織田信長の命を受けて中国攻めを進めていた羽柴秀吉に対し、城主の黒田孝高(官兵衛)は姫路城を献上し、自らは軍師として秀吉の覇業を支えた。秀吉は毛利氏との戦いの拠点として城を大規模に改修し、姫山に三重の天守を築いた。これが近世城郭としての姫路城の出発点である。
西国牽制の要衝と池田輝政の大改修
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、徳川家康の娘婿である池田輝政が播磨52万石で姫路に入封した。当時、西国には毛利氏や島津氏など豊臣恩顧の強力な外様大名が多数配置されており、彼らを監視・牽制し、大坂城の豊臣秀頼を包囲することは徳川政権にとって喫緊の課題であった。輝政は1601年(慶長6年)から約9年の歳月をかけ、幕府の威信をかけて姫路城の大規模な拡張・改修工事を行った。この工事により、五重六階地下一階の大天守と3つの小天守を渡櫓で結んだ「連立式天守」が完成し、現在に見る壮大な城郭の姿が整えられた。
「白鷺城」の美しさと高度な防衛機能
姫路城の最大の特徴は、大天守をはじめとする建築物の外壁すべてが白漆喰で厚く塗られた「白漆喰総塗籠(しろしっくいそうぬりごめ)」の美しい外観である。青空に映えるその優美な姿が、白鷺が羽を広げたように見えることから、「白鷺城」という異名で広く親しまれるようになった。防火性に優れる漆喰を用いたのは火縄銃による火災を防ぐためであり、その美しさの裏には極めて実戦的で高度な防衛機能が隠されている。小高い丘を中心とする平山城であり、内堀・中堀・外堀が螺旋状に巡る複雑な縄張りを有している。城内は迷路のように入り組んでおり、敵が一直線に天守へ進めないよう工夫されているほか、無数の狭間(さま)や石落としが設けられ、鉄砲や弓による強力な迎撃態勢が整えられていた。
奇跡的な保存状態と世界遺産としての価値
江戸時代を通じて、姫路城は本多忠政(千姫の義父)をはじめとする親藩・譜代大名が次々と城主を務め、幕府の西国支配の要としての役割を全うした。近代以降、日本の多くの城郭が明治維新後の廃城令や第二次世界大戦の空襲によって失われたが、姫路城は奇跡的に戦火や大規模な火災を免れ、安土桃山時代から江戸時代初期の建築を現代に伝えている。江戸時代以前に建造された天守が残る「現存十二天守」の一つであり、大天守などは国宝に指定されている。日本の木造城郭建築の最高傑作としての歴史的・文化的価値が国際的にも高く評価され、1993年(平成5年)には奈良県の法隆寺地域の仏教建造物とともに、日本初となるユネスコ世界文化遺産に登録された。