今井宗久・今井宗薫 (いまいそうきゅう・いまいそうくん)
宗久:1520年〜1593年、宗薫:1552年〜1627年
【概説】
戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した、和泉国堺の豪商・茶人の父子。織田信長や豊臣秀吉の御用商人・茶頭として政権の財政や外交を支え、後に息子の宗薫は徳川家康に接近して幕藩体制への移行期にも影響力を保ち続けた政商。
天下人と結びついた「会合衆」の系譜
父の今井宗久は、大和国出身とされ、堺の豪商・納屋宗次の婿養子となって薬種商や金融業、鉄砲・火薬の取引で巨万の富を築いた。また、茶の湯を武野紹鴎に学び、千利休、津田宗及とともに天下三宗匠と称された。織田信長が畿内を支配下に置く過程で、堺の自治組織である「会合衆」の代表格としていち早く信長に接近し、名物茶器を献上。堺の屈服と引き換えに、塩鉄の専売権や淀川の通行特権、生野銀山の支配権などを獲得した。信長の死後は豊臣秀吉に仕え、政権の御用商人・茶頭として重用された。
徳川家康への接近と宿老への仲介役
息子の今井宗薫も父の跡を継いで茶の湯と商業活動を行い、豊臣秀吉に仕えた。秀吉の没後、宗薫は急速に徳川家康への接近を図る。家康と大名たち(伊達政宗や福島正則ら)との私婚の仲介役を務めるなど、政治的なエージェントとして暗躍した。関ヶ原の戦い以降は家康の側近(お伽衆)となり、江戸幕府成立後も対外貿易や鉱山開発に関する諮問に応じるなど、初期の幕政における実力者として地位を維持した。彼らの足跡は、堺の自治都市としての衰退と、中央権力に依存・従属していく政商への変容を象徴している。