今井宗久・今井宗薫

千利休らとともに秀吉の茶頭を務めた父と、その跡を継いで家康にも仕えた堺の豪商(父子)は誰か?
カテゴリ:
重要度

【参考リンク】
今井宗久(Wikipedia)

今井宗久・今井宗薫 (いまいそうきゅう・いまいそうくん)

宗久:1520年〜1593年、宗薫:1552年〜1627年

【概説】
戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した、和泉国堺の豪商・茶人の父子。織田信長や豊臣秀吉の御用商人・茶頭として政権の財政や外交を支え、後に息子の宗薫は徳川家康に接近して幕藩体制への移行期にも影響力を保ち続けた政商。

天下人と結びついた「会合衆」の系譜

父の今井宗久は、大和国出身とされ、堺の豪商・納屋宗次の婿養子となって薬種商や金融業、鉄砲・火薬の取引で巨万の富を築いた。また、茶の湯を武野紹鴎に学び、千利休、津田宗及とともに天下三宗匠と称された。織田信長が畿内を支配下に置く過程で、堺の自治組織である「会合衆」の代表格としていち早く信長に接近し、名物茶器を献上。堺の屈服と引き換えに、塩鉄の専売権や淀川の通行特権、生野銀山の支配権などを獲得した。信長の死後は豊臣秀吉に仕え、政権の御用商人・茶頭として重用された。

徳川家康への接近と宿老への仲介役

息子の今井宗薫も父の跡を継いで茶の湯と商業活動を行い、豊臣秀吉に仕えた。秀吉の没後、宗薫は急速に徳川家康への接近を図る。家康と大名たち(伊達政宗や福島正則ら)との私婚の仲介役を務めるなど、政治的なエージェントとして暗躍した。関ヶ原の戦い以降は家康の側近(お伽衆)となり、江戸幕府成立後も対外貿易や鉱山開発に関する諮問に応じるなど、初期の幕政における実力者として地位を維持した。彼らの足跡は、堺の自治都市としての衰退と、中央権力に依存・従属していく政商への変容を象徴している。

中世日本の茶と文化―生産・流通・消費をとおして (アジア遊学252)

中世の茶の生産から流通までを経済史の視点で解き明かし、日本文化の深層に触れる茶と社会の歴史的探究の書。

詳説日本史図録

教科書『詳説日本史』の内容を、豊富な写真や図解、地図でビジュアル化した超定番の図録。文字だけでは理解しにくい歴史の流れや文化財のディテールが視覚的に頭に入る。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 各藩が領内でのみ通用する通貨として独自に発行した紙幣を何と呼ぶか。
Q. カミソリ大臣と評され、日清戦争直前にイギリスとの間で領事裁判権の撤廃に成功し、戦争後は全権として下関条約に調印した外相は誰か?
Q. 1982年、失効した同和対策事業特別措置法を引き継ぎ、引き続き対象地域の環境改善などを進めるために制定された法律は何か?