李参平 (りさんぺい)
生年不詳〜1655年
【概説】
豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、朝鮮半島から肥前国(佐賀県)へと連行された陶工。有田にて日本初となる磁器の創始に成功し、近世日本の窯業発展に決定的な役割を果たした人物。
文禄・慶長の役と「やきもの戦争」
豊臣秀吉による2度にわたる朝鮮出兵(1592〜1598年)は、軍事的には失敗に終わったものの、日本の文化、特に工芸分野において極めて大きな変革をもたらした。西国の大名たちは、朝鮮半島の高度な技術を持つ技術者を多数日本へと連行した。この中には優れた陶工が多く含まれていたため、後にこの戦争は「やきもの戦争」とも称される。李参平もこの時期に、佐賀藩祖である鍋島直茂の軍によって日本へ連行されたとされる陶工の一人であった。
泉山磁石場の発見と有田焼の誕生
来日した李参平は、日本名を金ヶ江三兵衛(かながえさんべえ)と名乗り、当初は多久(佐賀県多久市)などで陶器を焼いていた。しかし、当時の日本にはまだ存在しなかった「磁器」を国内で生産するため、原料となる良質な白磁鉱の探索を続けた。そして1616年頃、有田の泉山(いずみやま)にてついに良質な磁石鉱を発見する。これを用いて有田の地で日本初の磁器焼成に成功した。これが、後に日本を代表する磁器ブランドとなる有田焼(伊万里焼)の起源となった。
日本国内への影響と「陶祖」としての顕彰
李参平による磁器の創始は、それまで中国(明や清)からの輸入に依存していた日本の磁器市場を一変させた。有田での成功を機に、肥前国では磁器生産が急速に本格化し、佐賀藩の重要な産業へと成長していく。やがて、これらは伊万里の港から日本全国、さらにはオランダ東インド会社を通じてヨーロッパへと輸出され、世界的な評価を獲得するに至った。今日、李参平は有田の「陶祖」として仰がれており、有田町の陶山神社には彼を顕彰する碑が建ち、その偉業が今なお語り継がれている。