応永の外寇

1419年、倭寇の取り締まりを目的として、朝鮮の軍勢が対馬を襲撃した事件を何というか?
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【参考リンク】
応永の外寇(Wikipedia)

応永の外寇 (おうえいのがいこう)

1419年

【概説】
1419年(応永26年)、李氏朝鮮の軍勢が前期倭寇の根拠地とみなした対馬を大軍で襲撃した事件。対馬守護であった宗氏の激しい抵抗により朝鮮軍は撤退を余儀なくされた。これを契機として、武力による制圧から条約による統制へと方針が転換され、その後の日朝貿易が制度化されていく重要な転換点となった。

前期倭寇の活動と李氏朝鮮の建国

14世紀後半から15世紀にかけて、日本の対馬・壱岐・松浦地方などを根拠地とする海賊集団、いわゆる前期倭寇が朝鮮半島や中国大陸の沿岸を激しく荒らしまわっていた。朝鮮半島を支配していた高麗は、この倭寇の襲撃によって国力を大きく消耗し、衰退の一途をたどっていた。そのような状況下、倭寇討伐で武功をあげて台頭した武将の李成桂が、1392年に高麗を倒して新たに李氏朝鮮を建国した。

新王朝である李氏朝鮮にとって、国家の安定のためには倭寇対策が最重要課題であった。朝鮮側は、倭寇の鎮圧と統制を日本の室町幕府や九州探題、そして対馬の有力者である宗氏に強く要求する一方で、倭寇的活動をやめて平和的な通交を行う者には貿易の利益を保証するという懐柔策(通交権の付与)を並行して行っていた。

対馬襲撃の背景と「己亥東征」

対馬守護の宗貞茂は朝鮮の要請に応じ、島内の倭寇を弾圧して朝鮮との平和的な通交と貿易関係を維持していた。しかし、1418年に貞茂が死去し、幼少の宗貞盛が跡を継ぐと、対馬島内で実権を握った早田左衛門太郎らが再び倭寇的活動を開始した。1419年、明の遼東半島や朝鮮沿岸を襲撃した倭寇の船団が対馬を出拠としていることが判明すると、朝鮮の事実上の最高権力者であった上王の太宗は、これを好機と捉え、対馬の武力制圧を決断した。

1419年(応永26年)6月、李従茂を司令官とする227隻、約1万7000人の大軍が対馬に向けて出航した。この事件は、朝鮮側ではその年の干支にちなんで己亥東征(きがいとうせい)と呼称されている。

対馬での攻防と室町幕府のパニック

対馬の浅海湾(あそうわん)に上陸した朝鮮軍は、島内の村々を焼き討ちにし、住民を殺傷して船を焼き払うなど猛威を振るった。しかし、宗氏側の軍勢は地の利を生かしたゲリラ戦を展開し、糠岳(ぬかだけ)の戦いにおいて朝鮮軍を伏兵で撃破し、多大な損害を与えた。さらには台風の接近による天候悪化の懸念もあり、朝鮮軍は宗貞盛からの停戦・撤退要求を受け入れ、上陸からわずか半月ほどで朝鮮半島へと撤退した。

一方、この事件の知らせは日本本土にも伝わり、京都の室町幕府を大きく震撼させた。当時の将軍であった足利義持や幕府首脳は、明の使者の入国を拒否するなど日明関係が悪化していた時期であったため、この襲撃を「明の軍勢が日本を侵略してきた」あるいは「元寇の再来」であると誤認した。幕府は直ちに九州の諸大名や寺社に異国降伏の祈祷や防衛体制の強化を命じており、当時の日本国内に一時的ながらも強烈な緊張とパニックをもたらした。

事件後の日朝関係の修復と嘉吉条約

応永の外寇は局地的な武力衝突に終わったが、この事件によって双方が教訓を得ることとなった。朝鮮側は、対馬を武力で完全制圧することの困難さを悟り、平和的な貿易による懐柔策の重要性を再認識した。一方、土地が痩せ農業に不向きな対馬の宗氏にとっても、経済的な生命線である朝鮮との貿易関係の回復は急務であった。

その後、両者の間で使者が交わされ、朝鮮側は対馬を日本領として容認した上で、宗氏を通交の窓口とする方針を固めた。1443年には宗貞盛と朝鮮との間で嘉吉条約(癸亥約条)が締結された。この条約により、対馬から朝鮮へ派遣される歳遣船(さいけんせん)の数が年間50隻に制限される一方で、朝鮮から宗氏へ毎年下賜される歳賜米・豆(さいしまい・まめ)の量が200石と規定された。応永の外寇は、結果として宗氏による日朝貿易の独占と制度化を促進し、その後の東アジア海域における長期的な平和と交流の基礎を築く歴史的意義を持ったのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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