按司 (あじ)
【概説】
12世紀頃から琉球(沖縄)の各地に現れた、グスクを拠点とする地方の豪族・首長のこと。農耕社会の発展を背景に台頭し、互いに抗争を繰り返しながらのちの琉球王国形成の契機となった、日本本土における武士(在地領主)に相当する存在である。
農業生産力の向上と「グスク時代」の幕開け
沖縄本島および周辺の島々では、10〜11世紀頃から農耕社会への本格的な移行が始まり、鉄器の普及にともなって開墾が進んだ。これにより生産力が向上すると、共同体を統率し、余剰生産物を掌握する有力者が登場する。彼らは12世紀頃までに、地域首長としての按司(あじ/あんじ)へと成長していった。
按司たちは、軍事・政治および祭祀の拠点として、石垣を巡らせた城郭であるグスク(城)を築いた。この時代を沖縄史では「グスク時代」と呼ぶ。これは、日本本土において平安時代末期から鎌倉時代にかけて、開発領主が武士団を形成し、館や砦を築いて地域支配を強めていった歴史的展開と強く共鳴する現象である。
三山鼎立から琉球王国の成立へ
14世紀に入ると、各地の按司の間で統合・淘汰が進み、やがて沖縄本島は北部の「山北(北山)」、中部の「山中(中山)」、南部の「山南(南山)」という3つの政治勢力へと収斂した。これを三山鼎立(さんざんていりつ)時代と呼ぶ。
それぞれの勢力を率いる有力な按司は「王」を自称し、中国(明)の冊封体制に入って進貢貿易を展開した。貿易によって得られる富や鉄などの軍事物資は、さらなる権力の源泉となった。この激しい抗争の中から、15世紀初頭に中山の按司であった尚巴志(しょうはし)が台頭し、1429年に三山を統一して琉球王国を樹立することとなる。
琉球王国の支配体制と「按司」の変容
琉球王国の成立当初、地方の按司たちは依然として独自の軍事力を保持する割拠勢力であった。しかし、第二尚氏王統の第3代国王である尚真(しょうしん)王(在位1477〜1527年)の治世において、大きな政策転換が行われた。
尚真王は中央集権化を進めるため、諸地方の按司から武器を回収し、彼らを首都である首里に強制的に移住させた(首里居住制)。地方の領地には「按司掟(あじうっち)」などの役人が派遣されて直轄地化が進んだ。これにより、かつて地方で割拠していた武装勢力としての按司は消滅し、王室の分家や最高位の王族・貴族を指す「位階(身分呼称)」へと再編され、王権を支える特権階級として官僚機構に組み込まれていった。