禅宗
【概説】
座禅を組んで自らの内面と向き合い、自力で悟りを開くことを目指す仏教の総称。鎌倉時代に中国(宋)から本格的に伝来した臨済宗や曹洞宗を中心とし、自己修練を重んじる教えが武士の気風と合致したことで中世社会に深く浸透した。日本の精神史や芸術・文化の形成において極めて重要な役割を果たした宗教である。
禅宗の起源と日本への伝来
禅宗の起源は、インドから中国へと渡った菩提達磨(ぼだいだるま)が伝えた教えに遡るとされる。中国で独自の発展を遂げた禅は、奈良時代や平安時代にも日本へ伝えられていたが、当時は既存の国家仏教の枠内に留まり、独立した一宗派として定着することはなかった。日本において禅宗が本格的に確立するのは、12世紀末の鎌倉時代初期のことである。二度の入宋を果たした栄西(えいさい)が臨済宗を、その後に宋へ渡った道元(どうげん)が曹洞宗を日本に伝え、これらが鎌倉新仏教における禅宗の二大潮流を形成することとなった。
鎌倉新仏教における「自力」の教義
鎌倉時代に勃興した新仏教の多く(浄土宗や浄土真宗など)が、阿弥陀如来の救済にすがる「他力」を説いたのに対し、禅宗は自らの修行によって仏法を体得する「自力」を強調した点に大きな特徴がある。経典の読解や学問的理解よりも、実践としての座禅を通じて自己の仏性に目覚めることを至上命題とした。
同じ禅宗でも、宗派によってそのアプローチは異なる。栄西の伝えた臨済宗は、師匠から与えられる公案(こうあん)と呼ばれる禅問答を考え抜きながら悟りを目指す看話禅(かんなぜん)を特徴とした。一方、道元が開いた曹洞宗は、いかなる思惑も持たず、ただひたすらに壁に向かって座禅に打ち込む只管打坐(しかんたざ)を提唱し、これを黙照禅(もくしょうぜん)と呼ぶ。
武家政権との強力な結びつき
禅宗、特に臨済宗は、常に死と隣り合わせにある武士たちから熱烈な支持を受けた。自らの心身を律し、生死を超越しようとする禅の精神が、武家の気風に深く合致したためである。鎌倉幕府の執権である北条時頼や北条時宗らは、南宋から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)や無学祖元(むがくそげん)といった高僧を招き、建長寺や円覚寺などの大寺院を鎌倉に建立した。
室町時代に入ると、足利将軍家は南宋の制度に倣って五山・十刹の制(ござん・じっさつのせい)を整え、京都と鎌倉の有力な臨済宗寺院を格付けして保護・統制した。この結果、五山の禅僧たちは幕府の政治や外交顧問、あるいは中国(明)との日明貿易(勘合貿易)の担い手として、国家運営の中枢にまで深く関与することとなった。なお、こうした中央権力との癒着を嫌った曹洞宗は、権力から距離を置き、地方の武士や一般民衆の間へ草の根的に教えを広めていった。
日本文化の基層を形成した「禅宗文化」
禅宗が日本の中世社会に与えた影響は、宗教や政治の枠に留まらない。禅僧の往来を通じて中国の最先端の文化がもたらされ、いわゆる禅宗文化が開花した。五山の禅僧たちによって作られた漢詩文は五山文学と呼ばれて重んじられた。
また、無駄を削ぎ落として本質を追求する禅の精神は、日本の芸術表現に根本的な変革をもたらした。雪舟に代表される水墨画、岩や砂だけで大自然を表現する枯山水(かれさんすい)の庭園、栄西がもたらした喫茶の習慣から発展した茶の湯(茶道)、そして肉食を避ける戒律から生まれた精進料理など、現代の「日本文化」として世界に認知されている要素の多くが、この禅宗の思想を母体として生み出されたのである。