増鏡
【概説】
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて成立した、後鳥羽上皇の時代から後醍醐天皇の隠岐配流および帰京までを描いた歴史物語。『大鏡』『今鏡』『水鏡』に続く「四鏡」の最後の作品である。武家政権が台頭した鎌倉時代において、朝廷側の視点から宮廷社会の動向を優雅な和文体で叙述しており、文学作品としても歴史史料としても極めて高い価値を持つ。
成立時期と作者
『増鏡』の正確な成立年は特定されていないが、物語の結末が後醍醐天皇の隠岐からの帰京(1333年)で終わっていることから、鎌倉時代末期から建武の新政以降、すなわち南北朝時代である14世紀中頃(1360年代〜1370年代頃)に成立したと考えられている。作者についても確証はないものの、同時代の和歌や古典文学に精通し、朝廷の有職故実に明るい公家であったことは疑いない。古くから連歌の大成者としても知られる摂政関白・二条良基(にじょうよしもと)を作者とする説が有力視されているほか、中院通冬(なかのいんみちふゆ)などの名も挙げられている。
構成と物語の枠組み
全17巻(または19巻、20巻など諸本あり)からなり、1183年(寿永2年)の後鳥羽天皇即位から、1333年(元弘3年)に後醍醐天皇が隠岐配流から京都へ帰還するまでの、約150年間の歴史を編年体で記述している。
四鏡の第一作である『大鏡』の形式を踏襲しており、京都の嵯峨にある清凉寺を舞台に、100歳を超える老尼(昔をよく知る人物)が過去を回想し、それを筆記者が書き留めるという対話形式・語り物形式を採っている。文体は平安時代の『源氏物語』などを模範とした優雅な擬古文(和文体)が用いられている。そのため、鎌倉時代の荒々しい武家社会の動向よりも、宮中の行事や恋愛、和歌の贈答といった公家社会の優雅な生活を中心に取り上げている点が大きな特徴である。
歴史的意義と思想的背景
『増鏡』の歴史的価値は、鎌倉時代という武士が実権を握った時代を、公家(朝廷)側の視点から一貫して描いている点にある。同時代の武家側の公式記録である『吾妻鏡』とは対照的な史観を提示しており、両者を比較することで、鎌倉時代の政治史をより立体的かつ多角的に理解することができる。特に承久の乱(1221年)などの朝武関係の転換点や、幕府の干渉に翻弄される朝廷の姿が克明に記されている。
また、本作には明瞭な政治的思想が見て取れる。作者は王朝の全盛期に対する強い復古的憧憬を抱いており、武家の台頭によって衰退していく朝廷の権威を嘆きつつも、再び天皇親政を目指した後鳥羽上皇や後醍醐天皇に対して深い同情と賛美を寄せている。とりわけ、大覚寺統(後醍醐天皇の皇統)に対する正統性を強調する記述が多く見られる。このように『増鏡』は、単なる懐古趣味の文学にとどまらず、乱世を生きる貴族の強烈な歴史意識と政治的メッセージが込められた第一級の史料である。