仙覚 (せんがく)
【概説】
鎌倉時代中期の天台宗の学僧。『万葉集』の諸本を比較して校訂を行い、全ての歌に訓点(読み)を施した人物。それまで解読が困難であった万葉仮名の表記に一貫した読み(新点)を与え、後世の万葉学の基礎を築いた。
鎌倉将軍の近侍と『万葉集』研究の始まり
仙覚は比叡山で天台宗の奥義を学んだ後、鎌倉に下向して鎌倉幕府の周辺で活動した。当時、鎌倉幕府の第3代将軍であった源頼経は京都の貴族文化に強い憧れを抱き、とりわけ和歌に深く傾倒していた。仙覚はこの頼経の近侍となり、その文学的なサロンの中心人物として迎えられた。
1246年(寛元4年)、仙覚は頼経の命を受け、当時テキストごとに異同が激しく、また解読不能な箇所が多かった『万葉集』の本格的な校訂作業に着手した。これは単なる個人の学術研究にとどまらず、鎌倉幕府(武家政権)が主体となった文化事業という側面を有していた。頼経が政治的に失脚した後も、仙覚は北条氏の一族である北条実時などの支援を受け、研究を継続した。
「新点」の創出と『万葉集注釈』の完成
『万葉集』は万葉仮名で表記されていたため、平安時代以降、その正確な読み方は徐々に失われつつあった。平安中期の源順らによる「古点」、大中臣能宣らによる「次点」といった先人の解読作業が試みられていたものの、依然として全体の約3割は読み方が定まらない状態にあった。
仙覚はこれらの先行研究を徹底的に批判・整理し、未解読であった1500首以上の歌に対して新たに訓(よみ)を付した。これを「新点(しんてん)」と呼ぶ。これにより、全20巻に及ぶ『万葉集』のすべての歌に読みを施すという偉業を達成した。その成果をまとめたものが、1269年(文永6年)に完成した『万葉集注釈』(一般に「仙覚抄」と呼ばれる)である。仙覚の作成した校訂本(仙覚本)は、後世の『万葉集』の諸写本の祖本となった。
東国文化の興隆と国学への影響
仙覚の業績は、鎌倉という東国の地が、単なる武力・政治の中心地であるだけでなく、高度な文学・学問の集積地へと発展していたことを示している。特に金沢文庫を創設した北条実時との交遊は、武家階級における古典受容の深まりを象徴している。
また、彼の残した校訂本や注釈は、室町時代の宗祇らによる連歌の注釈書を経て、江戸時代の契沖(『万葉代匠記』)や本居宣長らの国学研究に直接的な影響を与えた。日本の古典文学研究の歴史において、仙覚による『万葉集』の「標準テキスト」の確立は、欠かすことのできない画期的なマイルストーンであったと言える。