黄巣の乱 (こうそうのらん)
875年〜884年
【概説】
唐末期の875年に発生した、塩の密売商人・黄巣らによる大規模な農民反乱。唐朝の支配力を決定的に失墜させ、東アジア全域の国際情勢を大きく揺るがした画期となった大乱。
唐の衰退と大乱の勃発
9世紀後半の唐朝は、地方の軍閥である藩鎮の台頭や中央における宦官の専横、さらには過酷な増税によって極度に衰退していた。こうした社会的不安を背景に、国家の専売品であった「塩」の密売を行っていた王仙芝が挙兵し、これに同じく塩密売人であった黄巣が合流することで反乱は急速に拡大した。反乱軍は中国各地を席巻し、一時は首都である長安を占領して「斉」の建国を宣言するに至った。最終的には、乱の指導者層の分裂や異民族の軍事介入によって鎮圧されたものの、唐の権威は完全に失墜し、907年の滅亡への決定打となった。
日本への影響と遣唐使の廃止
中国大陸における「黄巣の乱」の衝撃は、平安時代の日本(朝廷)にも迅速に伝わった。当時、朝廷内では公式な外交ルートに加え、商人らによる私貿易を通じて大陸の動向を把握していた。唐の極度な治安悪化と政治的混乱は、日本の対外政策に決定的な変化をもたらすこととなった。894年、朝廷から遣唐大使に任命された菅原道真は、唐の衰退と混乱を理由に遣唐使の廃止(延期)を建議した。これにより、飛鳥時代から続いていた中国への公式な使節派遣は終焉を迎えた。これ以降、日本は大陸の政治的影響から距離を置き、独自の国風文化を発達させるとともに、外交関係は国家主導から、博多などを舞台とした私的な交易へと移行していくこととなった。