寄木造 (よせぎづくり)
【概説】
頭部や体の主要部分を、複数の木材(パーツ)を接合して組み立てる仏像彫刻の技法。一木造の欠点を克服し、仏像の大量生産や巨像の制作を可能にした。平安時代中期に仏師の定朝によって大成され、その後の日本仏像彫刻の主流となった。
一木造の限界と寄木造による技術的革新
飛鳥時代から平安時代初期にかけての日本の木彫仏は、1本の原木から仏像の大部分を彫り出す一木造(いちぼくづくり)が主流であった。しかし、一木造には、木材の乾燥に伴う収縮によって割れやひびが入りやすいという大きな欠点があった。また、原木の太さによって仏像の大きさが制限されるため、巨像を制作することが極めて困難であった。
これに対し、平安中期に発展した寄木造は、いくつかのブロック状の木材を組み合わせ、それぞれを大まかに彫ったあとに接合し、仕上げの彫刻を施す技法である。この技法により、あらかじめパーツの内側をくり抜く内刳(うちぐり)が容易になり、木材の乾燥による狂いやひび割れを劇的に防ぐことが可能となった。さらに、木材をつなぎ合わせることで、原木のサイズを超えた巨大な仏像の制作も可能になったのである。
定朝の大成と浄土教の流行に伴う大量生産
寄木造を大成させたのが、平安時代中期の仏師・定朝である。当時は末法思想が広く流行し、貴族たちの間で極楽往生を願う浄土信仰が急速に広まっていた。これに伴い、阿弥陀堂の建立と、そこに安置する膨大な数の阿弥陀如来像の需要が発生した。定朝は寄木造の技術を応用し、仏師たちをグループ化してパーツごとに分業を行う工房制を確立した。これにより、質の高い仏像を短期間に大量生産する体制が整えられた。
定朝の代表作である宇治の平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像(1053年完成)は、寄木造の完成形を示すものであり、穏やかで調和のとれた「定朝様(じょうちょうよう)」と呼ばれる仏像様式を確立した。この技法と様式は、その後の鎌倉時代における慶派(運慶・快慶ら)によるダイナミックな彫刻展開の基礎ともなった。