裳

高校日本史的重要度
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裳

「裳」の書き方

裳 (も)

【概説】
平安時代の女性の正装である女房装束(十二単)において、腰の後ろにまとって後方に長く引きずった、装飾用の布。貴族女性が公式な場に臨む際の象徴的な衣服であり、成人儀礼とも深く結びついていた。

女房装束における構成と役割

裳(も)は、平安中期に国風文化が発達する中で日本独自の展開を遂げた、女性の最高級正装である女房装束(唐衣裳装束、俗にいう十二単)の最背面に着用された。衣服というよりは、腰から後ろへ長く引きずるようにして結びつける装飾用の布である。数幅の布(主に八幅)を縫い合わせ、纐纈(こうけち:絞り染め)や絵画的な文様を施し、左右に「引腰(ひきごし)」と呼ばれる長い装飾紐を引くことで、宮廷の床に広がる優美な美しさを演出した。

宮廷貴族社会における社会的意義と「裳着」

平安時代の貴族社会において、裳は単なる装飾品にとどまらず、公式な階級や礼儀を表す重要な指標であった。女性が公的な宮廷行事(晴れの場)に参列する際には、唐衣(からぎぬ)とともにこの裳の着用が必須のルールとされた。また、当時の女子の元服(成人式)は「裳着(もぎ)」と呼ばれ、12歳から14歳頃の少女が初めて裳を身につけ、髪を結い上げることで、大人の女性として認められる極めて重要な儀礼であった。このように裳は、平安女性にとって社会的な自立とアイデンティティを表す格式高い象徴であった。

最終更新:
2026年9月20日 @ 16:48

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