平貞盛 (たいらのさだもり)
生年不詳〜989年頃
【概説】
平安時代中期に活躍した桓武平氏の武将。平将門の従兄弟でありながら、父の仇である将門を藤原秀郷とともに討ち、天慶の乱(平将門の乱)を鎮圧した。この功績により武家としての地位を確立し、後の伊勢平氏繁栄の礎を築いた。
平将門との宿怨と天慶の乱
平貞盛は桓武平氏の祖である高望王の孫で、平国香の長男として生まれた。当時、関東に土着していた平氏一族の間では、所領や婚姻関係をめぐる内紛が絶えなかった。天慶2年(939年)頃、従兄弟である平将門が一族の争いから朝廷への反乱(平将門の乱)へと突き進むなか、貞盛の父・国香は将門との戦いで命を落とした。京都で官人として出仕していた貞盛は急ぎ帰国し、父の仇である将門と対峙することとなった。当初は軍事力で勝る将門に圧倒され苦戦を強いられたものの、下野国の有力豪族で押領使であった藤原秀郷と手を結ぶことに成功。天慶3年(940年)2月、連合軍を率いて将門の軍勢を急襲し、激戦の末に将門を討ち取って乱を鎮圧した。
乱後の栄達と伊勢平氏への系譜
将門を討った最大の功労者となった貞盛は、朝廷から高い評価を受け、従五位上・右馬助に叙せられた。その後も陸奥守や鎮守府将軍を歴任するなど、受領(地方官)として着実に階級を昇り、軍事貴族としての地位を不動のものとした。貞盛の系統は「国香流平氏」として関東に根を張る一方、貞盛の養子となった平維衡の系統は伊勢国に下向して「伊勢平氏」の祖となった。この血統から、のちに平安末期の政権を掌握する平清盛が誕生することになる。貞盛による将門の乱の鎮圧は、一族の私闘という側面を持ちつつも、結果として朝廷が武士の武力を頼らざるを得ない状況を作り出し、後世の武士階級台頭への先駆的な役割を果たすこととなった。