参議 (さんぎ)
701年〜
【概説】
奈良時代以降の太政官における官職。大臣・大納言・中納言の下にあって国政の重要事項の審議(朝政)に参加した、公卿を構成する重職の一。
参議の成立と令外官としての性格
参議は、大宝元年(701年)5月に文武天皇のもとで大伴御行や巨勢多益須、粟田真人、下毛野古麻呂ら4名が「参議朝政(朝政に参議す)」に任じられたことに始まる。大宝律令の制定・施行に伴い、大納言の定員が大幅に削減されたことで生じた審議能力の不足を補うために、臨時に設置された。大宝律令やのちの養老律令の本文には規定のない、いわゆる令外官(りょうげのかん)の一種であったが、奈良時代を通じて次第に常設の官職として制度化されていった。
太政官組織における役割と「公卿」への連なり
律令制下の最高官庁である太政官において、参議は大臣や大納言、中納言とともに国政の最高意思決定機関である「陣定(じんのさだめ)」などの朝政に参加した。参議に任命される資格は、原則として四位以上の位階を持つ有能な官僚であり、家格よりも実務能力が重視される傾向があった。参議以上の官職にある者は、三位以上の者とともに「公卿(くぎょう / かんだちめ)」と呼ばれ、国政を左右する特権的な支配階層を構成した。この参議の存在は、少数の高位貴族による権力独占を防ぎ、中級貴族や実務官僚の意見を国政に反映させるためのバイパスとしても機能した。