妻問婚

奈良時代や平安時代の貴族社会などで広く見られた、夫が妻の家に通って生活を共にする婚姻形態を何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
妻問婚(Wikipedia)

妻問婚 (つまどいこん)

奈良時代〜平安時代中期

【概説】
古代日本、とりわけ奈良時代を中心に一般的であった、夫が妻の実家(または住居)へと夜ごとに通う婚姻形態。夫婦が同居せず、生まれた子供は妻の家系で養育される点に大きな特徴がある。

妻問婚の実態と母系社会の特質

古代の日本社会は、父系的な原理のみに偏らず、生活の実態や財産の相続においては母系的な要素が強く機能していた。妻問婚においては、男女はそれぞれ独立した住居に住み、夫が夜に妻のもとを訪れ、夜明け前に自らの家へと帰る生活を送る。男女はそれぞれ独自の財産を所有し、生まれた子供は母親の実家において、母方の祖父母や叔父・叔母などによって養育された。この婚姻形態は、女性側の実家が経済的・精神的な生活基盤となっていたことを示しており、女性の地位が後世と比べて比較的高かった古代社会の特質を色濃く反映している。

婚姻の成立と社会的承認

妻問婚の「問う」とは、求婚や訪問を意味する。古代の文学作品である『万葉集』には、男性が女性の家に通い、歌を詠み交わして愛を深める様子が数多く描かれている。しかし、この関係は単なる当事者間の自由恋愛や一時的な情交にとどまるものではない。男性が女性の家に通うことが女性の親族や共同体に容認され、社会的に公認された関係へと発展することで、初めて正式な夫婦として認知された。婚姻の成立にあたっては、男女間での贈り物の交換や、特定の儀礼を伴うのが一般的であった。

摂関政治への影響と「招婿婚」への変遷

平安時代中期頃になると、完全に「通う」だけの形態から、夫が妻の実家に同居するか、あるいは実家の支援を得て別居する招婿(しょうせい)婚(婿入り婚)へと移行していく。この慣習は、平安貴族の政治権力構造、特に摂関政治の成立に不可欠なものであった。藤原氏は娘を天皇の后妃とし、その間に生まれた皇子(外孫)を妻の実家である藤原氏の邸宅(東三条殿など)で養育した。これによって藤原氏は、幼少の天皇に対する外戚(母方の親族)としての強力な発言権を獲得し、政治的主導権を握ることに成功したのである。この母系的な紐帯を重視する婚姻形態は、鎌倉時代以降、武家社会の台頭とともに父系的な「嫁入り婚(娶妻婚)」へと段階的に変化していくこととなる。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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