貧窮問答歌 (ひんきゅうもんどうか)
【概説】
奈良時代に山上憶良が『万葉集』に詠んだ、重税にあえぐ農民の悲惨な生活の様子を問答形式で記した長歌。律令制下の過酷な収奪と民衆の苦悩を伝える、日本古代史における第一級の史料としても高く評価されている。
律令国家の重税と農民の疲弊
8世紀前半の奈良時代、唐の制度に倣って確立された律令制のもとで、農民は班田収授法により口分田を与えられる一方で、過酷な税負担を強いられていた。租・庸・調といった税に加え、地方での土木工事などに従事する雑徭(ぞうよう)や、兵役である軍防(兵士・防人など)、出挙(すいこ)の強制などが重くのしかかった。度重なる飢饉や疫病の流行も相まって農民の生活は困窮を極め、口分田を捨てて逃げ出す逃亡・浮浪や、戸籍の性別を偽って税を逃れようとする偽籍(ぎせき)が社会問題化していた。『貧窮問答歌』は、まさにこのような律令国家の矛盾が表面化しつつあった天平年間(729年〜749年)の世相を背景として誕生したのである。
「貧者」と「窮者」の問答形式
本歌は『万葉集』巻五に収録されており、貧しい者(貧者)がさらに貧しい者(窮者)に問いかけ、それに答えるという構成をとる長歌(反歌一首を伴う)である。前半では、風雨や雪に悩まされ、粗末な小屋で寒さに震える貧者が「あなたはいかにしてこの世を渡っているのか」と問いかける。後半では窮者がそれに応え、糟(かす)湯をすすり、父母や妻子と泣き悲しむ凄惨な生活実態を語る。さらに、かまどには蜘蛛の巣が張り、飯を炊く煙すら立たない極限状態の中、鞭を持った里長(さとおさ:村の長)が税の取り立てに寝屋の戸口まで怒鳴り込んでくるという絶望的な情景が、生々しく描写されている。
山上憶良の眼差しと社会詩としての特異性
作者である山上憶良(やまのうえのおくら)は、遣唐使として唐に渡り、最新の儒教や仏教を学んだ知識人であった。帰国後は伯耆守や筑前守(ちくぜんのかみ)などの国司を歴任し、地方行政の最前線で民衆の苦難を直接目撃した。彼の根底には、儒教における「仁政(民を憐れむ政治)」の理想と、仏教における慈悲の思想があったと考えられている。『万葉集』の多くが天皇や貴族による恋愛、自然の美しさ、個人的な哀切を詠んだものであるのに対し、社会の底辺で苦しむ農民の姿を客観的かつ写実的に描いた『貧窮問答歌』は、日本文学史上においても極めて異彩を放つ「社会詩」としての地位を確立している。
第一級の歴史史料としての価値
『貧窮問答歌』は、単なる優れた文学作品にとどまらず、当時の社会経済史や民衆生活を知るための貴重な歴史史料でもある。正史である『続日本紀』などの公的記録には、政府側の視点から逃亡や浮浪の禁止令、税制の緩和措置などが記されているに過ぎない。しかし、この歌に描かれた里長の苛烈な徴税や、飢えと寒さに苦しむ家族の具体的な描写は、公文書からは読み取ることのできない律令制下の人々の「生の肉声」を現代に伝えている。華やかな天平文化や国家繁栄の陰で、その基盤を支えながら犠牲となっていた民衆の実態を浮き彫りにしている点で、本史料が持つ歴史的意義は計り知れない。