和銅 (わどう)
【概説】
奈良時代初期、武蔵国から自然銅が献上されたことを契機として制定された元号。日本初の本格的な流通貨幣である「和同開珎」の鋳造や、平城京への遷都など、律令国家としての体制整備が急速に進んだ画期的な時代を象徴する言葉である。
「和銅」改元の経緯と自然銅の発見
708年(慶雲5年)正月、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市)から、精錬を必要としない純度の高い自然銅(「和銅」と呼ばれる)が朝廷に献上された。これを受理した第43代元明天皇は、これを国家的な吉祥(瑞祥)と捉え、元号を「和銅」へと改元した。当時、金属資源の確保、特に仏像の建立や貨幣の鋳造に不可欠な銅の国産化は、自立した律令国家を目指す朝廷にとって悲願であり、この発見は国家的な慶事として大々的に祝われた。
和同開珎の鋳造と貨幣制度の導入
和銅への改元後、朝廷はただちにこの秩父産の銅を用いて、日本初の本格的な流通貨幣とされる和同開珎の鋳造を開始した。同年の5月には銀銭、8月には銅銭が発行されている。これは唐の「開元通宝」を手本としたものであり、国家の支配力を経済面から誇示する狙いがあった。さらに711年(和銅4年)には、貨幣の流通を促進するために、貨幣を貯蓄した額に応じて位階を授ける蓄銭叙位令を発布するなど、貨幣制度の定着に向けた積極的な政策が推進された。
平城京遷都と律令体制の急速な整備
和銅年間は、政治や文化の面においても日本史上の巨大な転換期にあたる。710年(和銅3年)には、藤原京から唐の長安城を模した広大な都城である平城京への遷都(平城遷都)が断行され、本格的な奈良時代が幕を開けた。また、712年(和銅5年)には太安万侶の編纂による『古事記』が完成し、翌713年(和銅6年)には諸国に対して土地の産物や伝承を記録させる『風土記』の編纂を命じた。これらの大事業はいずれも、天皇を中心とする中央集権的な国家支配を内外に基礎づけるためのものであり、元号としての「和銅」は、日本が法治国家・文化国家として完成期へと向かう黄金のスタートダッシュの時期を象徴している。