武蔵国 (むさしのくに)
【概説】
現在の東京都、埼玉県、および神奈川県の一部(北東部)にあたる古代日本の令制国の一つ。飛鳥時代後期に成立して東国支配の拠点となり、奈良時代の元明天皇の代には自然銅を産出し、国家の貨幣鋳造の契機を作ったことで知られる。
令制国としての成立と地理的特徴
武蔵国は、7世紀後半の律令制の整備に伴って成立した令制国の一つである。その領域は現在の東京都(島嶼部を除く)、埼玉県全域、および神奈川県の川崎市・横浜市の大部分を包含する広大なものであった。国府は現在の東京都府中市に置かれ、国分寺も同地周辺に建立された。当初は交通路の都合から東山道に編成されていたが、宝亀2年(771年)に海路や平野部の交通の便を考慮して東海道に移管された。
武蔵国は関東平野の大部分を占め、多摩川や荒川などの水系に恵まれていたため、高い農業生産力を持つ大国であった。また、古くから馬の生産地としても知られており、のちの武士団(武蔵七党など)形成の基盤ともなる豊かな土地柄であった。
和銅の産出と和同開珎の鋳造
武蔵国が日本古代史において極めて重要な役割を果たした出来事の一つが、自然銅(和銅)の産出である。慶雲5年(708年)、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市)から純度の高い自然銅が発見され、朝廷に献上された。この吉兆を大変喜んだ元明天皇は、同年を「和銅元年」と改元し、大赦を行った。
この武蔵国からの和銅献上は、単なる地方からの貢進にとどまらず、律令国家の経済政策に重大な影響を与えた。朝廷はこれを契機として、日本初の本格的な流通貨幣である和同開珎(わどうかいちん/わどうかいほう)の鋳造を開始したのである。平城京遷都を目前に控えていた朝廷にとって、独自の貨幣を発行することは、国家の威信を内外に示し、都の建設費用などを賄うための極めて重要な国家事業であった。
東国支配の要衝と渡来人の移住
奈良時代の武蔵国は、大和朝廷による東国・東北支配の重要拠点でもあった。当時、東北地方には朝廷の支配に属さない蝦夷(えみし)が居住しており、武蔵国は彼らに対する軍事・前線基地としての役割を担っていた。武蔵国からは多数の兵士が防人(さきもり)として九州の太宰府へ送られたほか、東北経営のための軍事的負担も大きかった。
また、武蔵国には多数の渡来人が移住し、地域の開発に大きく貢献したことでも知られる。霊亀2年(716年)には東国に居住していた高句麗系の遺民を集めて高麗郡(こまぐん:現在の埼玉県日高市周辺)が設置され、天平宝字2年(758年)には新羅系の渡来人によって新羅郡(しらぎぐん:のちの新座郡、現在の埼玉県新座市周辺)が設置された。彼らがもたらした高度な農耕技術や手工業技術は、武蔵国の開発と生産力向上を強力に推進したのである。