陸奥国

現在の福島・宮城・岩手・青森の各県にまたがる広大な領域を持ち、多賀城が国府として置かれた国はどこか?
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重要度
★★

陸奥国 (むつのくに)

7世紀後半〜

【概説】
古代の律令制下において、東北地方の太平洋側を広範に管轄した令制国。奈良時代に多賀城が築かれ、蝦夷平定に向けた軍事・行政の最前線として機能した。天平期には日本初の金が産出され、東大寺大仏の造立を財政・信仰の両面から支えたことでも知られる。

律令国家の北方拡大と「道奥」の成立

陸奥国は、7世紀後半の律令体制の整備に伴い、当初は「道奥(みちのく)」として設置された。その領域は現在の福島県、宮城県、山形県の一部、岩手県、青森県に及ぶ広大なものであった。当時の律令国家にとって、この地域は王化の及ばない「化外(けがい)の民」とされた蝦夷(えみし)との境界領域であり、北進を続ける国家の勢力拡大の最前線としての性格を強く帯びていた。日本海側の出羽国と対をなす形で、東北地方における律令支配の浸透を担うこととなった。

多賀城の設置と蝦夷支配の拠点化

奈良時代の724年(神亀元年)、陸奥守であった大野東人によって、現在の宮城県多賀城市に多賀城が築かれた。多賀城には陸奥国の国庁(国府)が置かれるとともに、軍事拠点である鎮守府も併設され、太平洋側における蝦夷平定および北方支配の最高機関となった。多賀城は単なる官庁ではなく、堅固な城壁を備えた城柵(じょうさく)であり、ここを基点としてさらに北方へ向けて城柵が次々と築かれ、支配領域の拡大が図られた。これに対し、従来の生活圏を脅かされた蝦夷の抵抗は激化し、のちに坂上田村麻呂らが派遣される大規模な軍事衝突(三十八年戦争)へと発展していくこととなる。

「天平産金」と東大寺大仏造立への貢献

陸奥国は軍事的な要衝であるだけでなく、経済的・資源的にも古代国家にとって極めて重要な存在となった。749年(天平21年)、陸奥国小田郡(現在の宮城県涌谷町周辺)において、日本で初めてとなる金(ゴールド)が発見された。陸奥守であった百済王敬福によって朝廷へ金が献上されると、聖武天皇はこれを深く喜び、元号を「天平感宝」へと改元した。このとき産出された金は、当時建設中であった東大寺大仏(盧舎那仏)の鍍金(金メッキ)に使用され、財政難と資源不足に喘いでいた大仏造立事業を完成へと導く決定打となった。これ以降、陸奥国は黄金の国としての名声を高め、中央朝廷の財政を支える重要な貢納地となった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1880年、財政難の政府が官営事業を民間に売却するために制定したが、条件が厳しすぎてほとんど買い手がつかなかった規則は何か?
Q. 823年、財政難を補うために大宰府管内に設けられた、政府が直営して農民に耕作させた田地を何というか。
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