藤原四家

藤原不比等の息子たちが創設し、奈良時代から平安時代にかけて朝廷の権力をめぐって争った「南家・北家・式家・京家」を総称して何というか?
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重要度
★★★

【参考リンク】
藤原四家(Wikipedia)

藤原四家 (ふじわらしけ)

8世紀前半〜

【概説】
藤原不比等の4人の息子である武智麻呂、房前、宇合、麻呂がそれぞれ始祖となって興した、藤原氏における4つの家系の総称。南家・北家・式家・京家の四家からなり、奈良時代の政界を主導したが、度重なる政争を経て最終的に北家が権力を独占していくこととなる。

藤原四家の成立と政界進出

大化の改新で功績を挙げた中臣鎌足(藤原鎌足)を祖とし、律令国家の構築に尽力した藤原不比等の死後、彼を父に持つ4人の兄弟が政界の中枢へと台頭した。長男の武智麻呂(むちまろ)、次男の房前(ふささき)、三男の宇合(うまかい)、四男の麻呂(まろ)である。彼らは皇族の重鎮であった左道降・長屋王と対立し、729(神亀6)年の長屋王の変で彼を無実の罪に陥れ、自害へと追い込んだ。

長屋王を排除した四兄弟は、聖武天皇の母であり彼らの異母妹である藤原宮子を皇太夫人とし、さらに同じく異母妹の光明子を皇族以外で初めて皇后(光明皇后)に立てることに成功した。これにより、天皇家との強固な血縁関係に基づく藤原氏の外戚政治の基盤が確立されたのである。この四兄弟がそれぞれ興した家系が、後に「藤原四家」と呼ばれることとなる。

四家の名称の由来と特徴

四家の名称は、彼らの邸宅の所在地や就任した官職名に由来している。

長男の武智麻呂が興した南家(なんけ)と、次男の房前が興した北家(ほっけ)は、彼らの邸宅がそれぞれ父・不比等の邸宅の南と北に位置していたことにちなむ。三男の宇合が興した式家(しきけ)は、彼が文官の人事などを司る式部卿(しきぶきょう)の職を兼任していたことに由来する。そして四男の麻呂が興した京家(きょうけ)は、彼が平城京の行政や警察を管轄する京職大夫(きょうしきのだいぶ)を務めていたことに由来している。四兄弟はそれぞれ公卿として朝廷の要職を占め、奈良時代前期の政治を強力に主導した。

天然痘の流行による四兄弟の死

飛ぶ鳥を落とす勢いで政界を牛耳っていた四兄弟であったが、その栄華は突如として終わりを迎える。737(天平9)年、九州で発生した天然痘(疫瘡)が全国的な大流行を引き起こし、平城京にも猛威を振るった結果、四兄弟は相次いで病没してしまったのである。政府の最高幹部が短期間で全滅するという未曾有の事態は、朝廷に深刻な政治的空白をもたらした。

四兄弟の死後、政権は皇族出身の橘諸兄(たちばなの諸兄)が握り、吉備真備や玄昉といった遣唐使帰りの知識人が重用されるようになった。これに強い不満を抱いた式家・宇合の長男である藤原広嗣が740(天平12)年に九州で藤原広嗣の乱を起こすが鎮圧され、藤原氏の勢力は一時的に後退を余儀なくされた。

その後の盛衰と北家の台頭

四兄弟の死後、四家は互いに権力闘争を繰り返しながら盛衰を遂げていく。奈良時代中期には南家の藤原仲麻呂(恵美押勝)が権力を握って専制的な政治を行ったが、764年の恵美押勝の乱(藤原仲麻呂の乱)で敗死し、南家は没落した。その後、奈良時代末期から平安時代初期にかけては、桓武天皇の擁立や平安京遷都に尽力した式家の藤原百川や藤原種継らが権勢を誇った。しかし、810年の薬子の変(平城太上天皇の変)で藤原薬子と藤原仲成の兄妹が処罰されたことで、式家もまた政治の中枢から排除されることとなる。

一方、京家は人材に恵まれず、早々に歴史の表舞台から姿を消していた。最終的に一族内の生存競争を勝ち抜いたのは北家であった。嵯峨天皇の信任を得て新たに設けられた蔵人頭に就任した北家の藤原冬嗣を皮切りに、その子である良房、孫の基経らが他氏族や他家を次々と排斥しながら天皇の外戚としての地位を不動のものとし、平安時代を象徴する摂関政治を独占していく。後代において「藤原氏」として広く認知される貴族のほとんどは、この北家の末裔である。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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