日光・月光菩薩像(法華堂) (にっこう・がっこうぼさつぞう(ほっけどう)
【概説】
東大寺法華堂(三月堂)の本尊である不空羂索観音立像の両脇に安置された、奈良時代(天平文化)を代表する一対の塑像。静かで調和のとれた写実的な表情や、自然で美しい衣文の表現を特徴とする、天平彫刻の最高傑作の一つ。
天平彫刻の精華たる塑像技法
日光・月光菩薩像は、粘土を素材とする塑像(そぞう)の技法によって制作されている。塑像は、木で作った骨組みに藁縄を巻きつけ、その上に荒土、中土、そして仕上げに細密な粘土を塗り重ねて造形する手法である。乾漆像と並んで天平時代に全盛期を迎えたが、平安時代以降は木彫が主流となったため、この時代特有の技術と言える。
塑像は粘土の可塑性を生かして、きわめて肉感的かつ写実的な表現が可能である。日光・月光菩薩像においては、ふっくらとした頬や切れ切れの涼しげな目元、合掌する指先の柔らかな質感、そして天衣(てんね)の流れるような自然なしわ(衣文)にその特質が遺憾なく発揮されている。色彩は剥落しているものの、制作当初は鮮やかな彩色が施されていたとされ、その静謐な佇まいは当時の貴族たちの深い信仰心を体現している。
法華堂における安置と「尊名」をめぐる美術史上の謎
本像が安置されている東大寺法華堂(三月堂)は、東大寺創建以前に存在した金鐘寺(こんしゅじ)の遺構とされ、不空羂索観音立像(脱活乾漆像)を本尊としている。日光・月光菩薩は本来、薬師如来の脇侍(左右に控える仏)を務めるのが仏教教理上の通例であり、密教的な本尊である不空羂索観音の脇侍として配置されている点には、古くから美術史学上で疑問が呈されてきた。
そのため、この二像は本来「日光・月光菩薩」ではなく、不空羂索観音の眷属である「梵天・帝釈天」として造られたのではないかという説が有力視されている。また、乾漆造の本尊に対し、両脇侍が塑像であるという技法の違いから、当初は別の堂宇に安置されていたものが、後世に法華堂へと移されて本尊の脇に並べられたとする見解もある。このような配置や尊名をめぐる謎は、東大寺創建期における多様な仏教信仰の受容と、度重なる堂宇の整備過程を示す歴史的証拠として、今なお議論が続けられている。