鳥毛立女屏風(樹下美人図)

正倉院に伝わる屏風絵で、樹木の下に立つ唐風のふくよかな女性が描かれ、衣服などに鳥の羽毛が貼り付けられていた天平絵画は何か?
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重要度
★★★

鳥毛立女屏風(樹下美人図) (とりげりつじょのびょうぶ / じゅかびじんず)

8世紀中頃

【概説】
奈良時代の東大寺正倉院に伝来する、天平文化を代表する六扇の屏風絵。樹木の下に立つふくよかな唐風の美女が描かれており、衣服などにヤマドリの羽毛が貼り付けられていたことが最大の特徴である。盛唐文化の影響とシルクロードを通じた東西文化の交流を如実に示す貴重な史料として知られる。

盛唐文化の色濃い影響と「樹下美人」の系譜

奈良時代の天平文化は、度重なる遣唐使の派遣を通じてもたらされた唐の文化を積極的に受容した、国際色豊かな文化であった。本作品に描かれる女性は、ふくよかな顔立ちや豊満な体つき、眉間に花鈿(かでん)と呼ばれる装飾を施す化粧法など、8世紀前半の盛唐期(玄宗皇帝の時代)における典型的な美人画のスタイルを色濃く踏襲している。

さらに、樹木の下に人物を配する「樹下美人」という構図自体が、もともと西アジアや中央アジア(ササン朝ペルシアなど)に起源を持つモチーフである。これがシルクロードを経て中国に伝わり、新疆ウイグル自治区のアスターナ古墓群から出土した絵画などにも同様の構図が見られる。それがさらに東の果ての日本へと伝播したものであり、本作品はユーラシア大陸をまたぐ東西文化交流のダイナミズムを物語る歴史的証座と言える。

日本国内での制作と独自の技法

本作品の最大の特徴は、その名称の由来ともなっている「鳥毛(とりげ)」の技法である。女性の衣服や樹木の葉の部分などには、かつて色鮮やかな鳥の羽毛が貼り付けられていた。現在ではその大部分が剥落し、流麗な筆致による下絵の線(白描)が露出しているが、制作当時は極彩色に輝く豪奢な屏風であったと推測される。

長らく唐からの輸入品と考えられていた時期もあったが、科学調査や史料研究の結果、用いられた羽毛が日本固有種であるヤマドリのものであることが判明した。加えて、屏風の下張り(芯材)として再利用された反故紙(ほごし)のなかに、天平勝宝4年(752年)の買新羅物解(新羅からの輸入品の購入申請書)などの日本の公文書が含まれていた。これらの事実から、この屏風は渡来品ではなく、唐の画風を熟知した日本の工房の画師によって制作された国産品であることが確定している。

聖武天皇の遺愛品と正倉院宝物としての意義

鳥毛立女屏風は、東大寺正倉院の北倉(ほくそう)に収蔵されている。北倉は主に聖武天皇の身の回りの品々(遺愛品)が納められた区画であり、本作品も天平勝宝8歳(756年)、聖武天皇の七七忌(四十九日)に際して、光明皇太后が東大寺の盧舎那仏(大仏)に献納した宝物の一つである。

献納品の目録である『国家珍宝帳(東大寺献物帳)』にも、「鳥毛立女屏風 六扇」としてその記載が明確に残されている。当時の天皇や貴族の生活空間を彩った調度品の実態を伝えるとともに、天平時代の日本が唐の最先端の流行をいかに熱心に受容し、自らの手で精巧に再現しようとしたかを示す第一級の美術工芸史料である。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

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