山城(朝鮮式山城)

重要度
★★

山城(朝鮮式山城) (やまじろ(ちょうせんしきやまじろ)

7世紀後半

【概説】
7世紀後半の飛鳥時代、唐・新羅連合軍の侵攻に備えて西日本の要衝に築かれた古代の防衛施設。663年の白村江の戦いでの大敗を契機に、倭国(日本)へ逃れた亡命百済人の技術指導のもとで建設された。強固な石垣や土塁を要害の山々に巡らせた、当時の東アジアにおける緊迫した国際情勢を象徴する遺跡である。

白村江の戦いと国防の危機

660年、唐と新羅の連合軍によって倭国の同盟国であった百済が滅亡した。倭国は百済の復興を支援すべく、中大兄皇子(のちの天智天皇)らの主導のもと、朝鮮半島へ大軍を派遣した。しかし、663年の白村江の戦いにおいて倭国・百済遺民の連合軍は唐・新羅連合軍に完敗を喫することとなる。この大敗により、倭国は唐・新羅による本土侵攻というかつてない未曾有の危機に直面した。急ぎ防衛体制を整える必要に迫られた大和政権は、国土防衛の要として西日本各地に強固な山城を築くことを決定した。

亡命百済人の指導と朝鮮式山城の特徴

この防衛拠点の建設において、決定的な役割を果たしたのが百済滅亡に伴って倭国へ亡命してきた百済の貴族や技術者たちである。『日本書紀』には、百済の将軍である答㶱春初(とうほんしゅんしょ)や憶礼福留(おくらいふくる)らが指導し、山城を築いたことが記録されている。これらの城は、朝鮮半島の三国時代(特に百済)の築城技術が導入されていることから「朝鮮式山城」と呼ばれる。急峻な山頂付近を取り囲むように、強固な石垣(城壁)や粘土を交互に突き固めた土塁(版築土塁)を巡らせ、城内には居住空間や倉庫群が配置されていた。代表的なものとして、筑前国の大野城(福岡県)や肥前国の基肄城(佐賀県・福岡県)、長門国の城山城(山口県)、讃岐国の屋島城(香川県)などが挙げられる。

防衛ラインの構築と都の防衛政策

朝鮮式山城は、単に個別の拠点として築かれたのではなく、大和(近畿地方)へ至る防衛ルートを意識して体系的に配置された。九州の政治・外交の拠点であった大宰府を防衛するため、その背後に大野城や基肄城を配し、平地部には全長約1.2キロメートルに及ぶ大規模な土塁と堀からなる水城(みずき)を建設した。さらに、瀬戸内海から難波津を経て大和へ侵入するルートを阻止するため、屋島城や高安城(奈良県・大阪府)を配置して多重の防衛ラインを形成した。こうした国防への強い危機感は、天智天皇による近江大津宮(滋賀県)への遷都(667年)という、海から離れた内陸部への首都移転政策とも深く連動していたのである。

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日本史一問一答(ランダム)

Q. 律令国家において、美濃国・伊勢国・越前国に置かれ、都を守るために交通を厳しく統制した3つの重要な関所を総称して何というか?
Q. 律令制において、高位の貴族(五位以上)の子孫が、試験などを経ずに父祖の身分に応じて初めから高い位階をもらえる特権制度を何というか?
Q. 律令制の五色の賤のうち、貴族などに私有されて使役されたが、私奴婢とは異なり売買や譲渡の対象にはならなかった身分を何というか?