初唐 (しょとう)
【概説】
中国の唐王朝における、建国から8世紀初頭(玄宗の即位前)までの初期の時代区分。中央集権的な律令国家の体制が確立した時期であり、日本においては飛鳥時代後半の白鳳文化の形成に決定的な影響を与えた文化・社会の源泉。
中国史における「初唐」の画期と特色
唐朝(618〜907年)の歴史において、初代高祖から太宗による「貞観の治」、高宗期、そして中国史上唯一の女帝である武則天(則天武后)の武周時代を経て、玄宗が即位する(712年)までを「初唐」と区分する。この約1世紀の間、唐は前代の隋の遺産を受け継ぎながら、律令制度、均田制、府兵制、科挙制度などを整備し、強力な中央集権国家の土台を築き上げた。
文化面では、南朝由来の洗練された貴族文化と、北朝の質実剛健な遊牧民的要素が融合し、力強く新進気鋭の気風が生まれた。文学では「初唐の四傑」(王勃・楊炯・盧照鄰・駱賓王)らが活躍し、後に最盛期を迎える「盛唐」の漢詩(李白や杜甫など)へとつながる近体詩の格律を完成させた時期でもある。
白鳳文化への直接的影響と国家形成の連動
日本(倭国)において初唐の動向は、7世紀後半の天武天皇・持統天皇の時代(白鳳文化期)に最も強く投影された。それまでの隋や朝鮮半島を介した間接的な受容(飛鳥文化)とは異なり、遣唐使の派遣や、白村江の戦い(663年)での敗戦による国家危機の経験から、唐の最先端の政治制度や文化を直接的に、かつ急速に模倣・摂取するようになった。
特に、天皇を中心とする中央集権的な「律令国家」の建設を急ぐ天武・持統朝にとって、初唐の均田制や官僚制、戸籍制度(庚午年籍・庚寅年籍)は格好の手本であった。政治の仕組み(後の大宝律令など)のみならず、都市計画としての都城制(藤原京)の導入も、初唐の長安城の構造が強い刺激となって進められた。
造像美術と文学にみる初唐様式の受容
初唐文化の影響は、日本の仏教美術や文学にも顕著な足跡を残している。美術分野では、それまでの硬直的で古風な北魏様式(飛鳥仏)から脱却し、初唐美術の特色である写実的でふくよかな肉体表現や、衣服の柔らかな質感を取り入れた仏像が数多く制作された。その代表例が、薬師寺東院堂の聖観音立像や、薬師寺金堂の薬師三尊像、法隆寺金堂壁画などである。これらは、初唐様式の若々しく瑞々しい美意識を、日本的に消化した傑作とされる。
文学においても、天武・持統期の皇族や貴族たちが初唐の漢詩の格律を学び、詩作を競い合った。これがのちに、日本最古の漢詩集である『懐風藻』の結実へとつながっていく。このように、初唐は日本の古代国家が自立した東アジアの一員として、政治的・文化的な骨格を形成する上での最大のモデルとなった時代であった。