薬師寺式

重要度
★★

薬師寺式 (やくしじしき)

7世紀末〜8世紀初頭

【概説】
飛鳥時代後期(白鳳期)に確立された、金堂の手前に東塔と西塔の二基の塔を左右対称に並び立たせる伽藍配置様式。それまでの「一塔」を中心とした配置から脱却し、仏教儀礼の変化や対称性の美学を具現化した点に特徴がある。天武天皇の発願による薬師寺造営を契機に登場し、古代日本の国家仏教における象徴的な建築デザインとなった。

二塔式伽藍配置の登場とその構造的特徴

薬師寺式伽藍配置の最大の特徴は、中心的な仏堂である金堂の手前(南側)に、東塔西塔と呼ばれる二基の三重塔を左右に対称に配した点である。中門から出た回廊が金堂や二つの塔を囲み、北側の講堂へと繋がる構造をとる。

それ以前の伽藍配置では、飛鳥寺式(一金堂三塔)や四天王寺式(南北一列に塔と金堂が並ぶ)、法隆寺式(塔と金堂が左右に並列)のように、仏舎利(釈迦の遺骨)を安置する「塔」が寺院の中心、あるいは金堂と同等の権威を持っていた。しかし、薬師寺式にいたって塔は主役の座を金堂に譲り、金堂の本尊(薬師三尊像)を美しく引き立てるための装飾的・一対的な存在へと変化した。これは仏教が仏舎利信仰から、仏像(本尊)を本位とする信仰へと移行したことを示している。

天武・持統朝の国家仏教と薬師寺建立

この伽藍配置が生み出された背景には、天武天皇および持統天皇による強力な中央集権国家の形成と、それを支える国家仏教の推進がある。天武天皇9年(680年)、天武天皇は皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈念し、薬師寺の発願を行った。

最初に造営されたのは藤原京の「本薬師寺」であり、その後の平城京遷都に伴って現在の奈良市西ノ京へと移転(平城薬師寺)された。本尊である薬師三尊像(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)の配置、すなわち中央の薬師如来を左右の脇侍が挟むという構成が、そのまま「金堂(本尊)」と「左右の二塔」という立体的な伽藍配置に投影されたと考えられている。天皇の権威と国家の平穏を仏力によって誇示するために、均整のとれた壮麗な対称美が求められたのである。

白鳳文化の調和美と「凍れる音楽」

薬師寺式伽藍配置を視覚的に象徴するのが、薬師寺に唯一創建当時から現存する東塔(国宝)である。この塔は三重塔であるが、各層に裳階(もこし)と呼ばれる飾り屋根が付いているため、一見すると六重の塔のように見える。

大小の屋根が交互に重なり合うリズミカルな造形美は、大正から昭和期に活躍した哲学者・和辻哲郎らによって「凍れる音楽」と称えられた。初唐の建築様式の影響を受けつつ、独自の軽快さと均整美を生み出したこの建築は、飛鳥時代後期(白鳳文化)の極致を示すものである。この均整のとれた美意識が、左右対称を重んじる薬師寺式伽藍配置の基本理念となっている。

飛鳥の古代寺院

飛鳥の地に遺された壮大な伽藍の跡から、当時の建築技術と人々の信仰心、そして国家形成の歴史を紐解く学術的な一冊。

日本古寺美術全集〈13〉薬師寺・唐招提寺

天平の美を今に伝える薬師寺と唐招提寺の至宝を網羅し、彫刻や伽藍の精緻な造形美を鮮明な写真で堪能できる貴重な資料集。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 唐・新羅の侵攻の脅威が高まる中、中大兄皇子(天智天皇)が飛鳥を離れて遷都した、現在の滋賀県大津市にあった宮はどこか?
Q. ネアンデルタール人に代表される、死者を埋葬する風習を持ち、剥片石器を発達させた人類の進化段階を何というか?
Q. 縄文時代から弥生時代にかけて見られた、成人になる際の通過儀礼などとして健康な歯(犬歯など)を抜き取る風習を何というか?