駿府町奉行 (すんぷまちぶぎょう)
【概説】
江戸幕府が直轄都市である駿府(現在の静岡市)に設置した、行政・司法・警察を担う遠国奉行の一つ。駿府城代の支配を受けながら(後に老中支配へ移行)、駿府城下の町政全般や治安維持を統括した重要官職。
徳川家康の隠居地と駿府町奉行の創設
江戸幕府を開いた徳川家康が将軍職を秀忠に譲り、大御所として駿府城に入ると、駿府は実質的な幕府の副都として機能し、政治・経済の中心地として急速に発展した。1616(元和2)年に家康が死去したのち、幕府は駿府の直轄地(天領)化を進め、駿府城には最高責任者として駿府城代を配置した。この城代のもとで、城下の武家地を除く町人地の統治や治安維持を専門に担う官職として創設されたのが駿府町奉行である。当初は城代の指揮下にあったが、後に江戸の老中直属(老中支配)となり、京都町奉行や大坂町奉行などと並ぶ遠国奉行(おんごくぶぎょう)の一つとして幕府地方支配の重要拠点を担うこととなった。
職掌と組織――東西二体制による町政と司法
駿府町奉行は、原則として旗本から選ばれた定員2名の官僚が就任し、月番制(1ヶ月交代)で実務にあたった。奉行所は駿府城近くの東奉行所・西奉行所に分かれて置かれ、それぞれに与力や同心が配属されて実務を支えた。その職掌は多岐にわたり、駿府城下の町政、訴訟の裁決(司法)、警察権の行使(治安維持)に加え、駿府周辺の幕府直轄領(天領)の農政や年貢徴収なども兼務した。これにより、駿府町奉行は駿府周辺地域の民政全般を一手に掌握する権限を有していた。
交通の要衝と「聖地」を護る独自の役割
駿府町奉行が他の遠国奉行と異なり、極めて重要な意味を持っていた理由は、駿府という土地の地理的・政治的特殊性にある。駿府は東海道のほぼ中央に位置する主要な宿場町(駿府宿)であり、西国諸大名が江戸に参勤交代する際の動向を監視する上で、安全保障上の最重要拠点であった。さらに、駿府の近郊には家康の遺骸を葬った久能山東照宮が存在した。幕府にとって「祖宗の聖地」ともいえるこの一帯を警衛し、東照宮への参拝者や街道を行き交う旅人の取締りを行うことは、徳川将軍家の権威を維持する上できわめて厳粛な任務であった。駿府町奉行は、徳川の天下を象徴する聖地と大動脈の安全を保障するという、重要な使命を幕末の終焉まで全うし続けた。