関東ローム層
【概説】
関東地方の台地や丘陵を広く覆う、更新世の火山活動によってもたらされた火山灰などが風化・堆積して形成された赤褐色の地層。長らく日本列島に人類は存在しない時代の地層とされていたが、1949年にこの地層から打製石器が発見されたことで、日本における旧石器時代の存在が初めて学術的に証明された。
関東ローム層の形成と地質学的な性質
関東ローム層は、第四紀の更新世(氷河時代)における富士山、箱根山、赤城山などの活発な火山活動によってもたらされた火山砕屑物が、偏西風に乗って関東平野に降り注ぎ堆積したものである。長い年月をかけて風化することで赤褐色を呈するようになり、一般に「赤土」とも呼ばれている。
考古学的な観点において、この地層が持つ最大の物理的特徴は強い酸性を示すことである。酸性の土壌は人骨や動物の骨、木製品などの有機物を溶かして分解してしまう性質がある。そのため、関東ローム層から出土する旧石器時代の遺物は、黒曜石やサヌカイトなどで作られた石器類にほぼ限定されるという特徴的な状況を生み出している。
日本史の定説を覆した岩宿遺跡の発見
戦前までの日本の歴史学や考古学においては、土器を伴う縄文時代が日本列島における人類文化の曙であると見なされていた。関東ローム層が形成された更新世は激しい火山活動と寒冷な気候の時代であり、そのような過酷な環境下の日本列島に人類は居住していなかったとするのが学界の絶対的な定説であった。関東ローム層自体も「人類が生活できない時代の火山灰の堆積物」と捉えられていたのである。
しかし、1949(昭和24)年、在野の考古学研究者であった相沢忠洋が、群馬県の岩宿遺跡において、関東ローム層の切り通し断面から黒曜石で作られた打製石器を発見した。この発見を受けて明治大学が本格的な学術発掘調査を行った結果、地層中から明確な人工物である石器群が出土した。これにより、日本の歴史は縄文時代から始まるというこれまでの常識が完全に覆り、数万年前の旧石器時代から日本列島に人類が活動していたことが劇的に証明されたのである。
旧石器時代研究における年代決定の基準としての役割
岩宿遺跡の発見を契機として、日本各地で更新世の地層から旧石器時代の遺跡が爆発的に発見されるようになった。その後の研究において、関東ローム層は単なる発掘現場の「土」ではなく、遺跡や石器の年代を決定するための極めて重要な地質学的基盤として機能することになる。
関東ローム層の内部には、特定の時期に大規模な噴火によって広範囲に降り注いだ「指標火山灰(テフラ)」が層状に挟まっている。例えば、約3万年前に九州南部で起きた大噴火に由来する姶良Tn火山灰(AT火山灰)などの広域テフラ層である。これらの層位関係を緻密に分析することで、出土した打製石器がナイフ形石器から尖頭器、そして細石器へとどのように変遷していったのかを相対的に位置づけることが可能となった。関東ローム層は、日本の旧石器時代研究の幕開けを告げた舞台であると同時に、現在に至るまで考古学の編年研究を支え続ける不可欠な存在となっている。