長篠合戦(長篠の戦い)

1575年、織田・徳川連合軍が馬防柵と鉄砲の集中砲火を利用し、武田氏の強力な騎馬隊を壊滅させた戦いを何というか?
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★★★

長篠合戦(長篠の戦い) (ながしののかっせん/ながしののたたかい)

1575年

【概説】
1575(天正3)年、三河国の長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼の軍勢が激突した戦い。織田・徳川連合軍が大量の鉄砲と馬防柵を駆使した新戦術を展開し、当時最強と謳われた武田軍を壊滅させた。これにより織田信長は天下統一への歩みを大きく進める一方、武田氏は滅亡への道を辿ることとなった。

武田勝頼の三河侵攻と長篠城包囲

1573(元亀4)年、戦国最強と恐れられた武田信玄が西上作戦の途上で病死すると、家督を継承した武田勝頼は、父の遺志を継いで遠江・三河方面への侵攻を再開した。勝頼は若き勇将として武田軍を率い、徳川家康の領国を激しく脅かした。1575(天正3)年5月、勝頼は1万5000の軍勢を率いて三河国に侵攻し、徳川方の重要拠点である長篠城を包囲した。

長篠城を守る徳川家臣・奥平信昌は、わずか500の兵で武田の大軍による猛攻を凌いでいた。窮地に陥った家康は、同盟を結んでいた織田信長に急使(鳥居強右衛門の逸話で知られる)を送り、強硬に援軍を要請した。信長は、この機を武田氏の脅威を根本から絶つ好機と捉え、自ら3万の大軍を率いて岐阜を出陣した。織田軍と徳川軍(約8000)を合わせた織田・徳川連合軍は約3万8000という圧倒的な兵力となり、長篠城の西にある設楽原(したらがはら)へと進軍した。

設楽原への布陣と新戦術の準備

設楽原に到着した信長は、あえて武田軍に向かって進軍せず、連吾川という小川を前面に挟んだなだらかな丘陵地帯に陣を構えた。武田軍の誇る突撃力を削ぐためである。ここで信長は、大量の木材を持ち込ませて川沿いに長大な馬防柵(ばぼうさく)を構築させた。さらに柵の背後に土塁や空堀を設け、野戦でありながら強固な防御陣地を築き上げた。

また、信長はこの戦いのために、全国から約3000丁(諸説あり)ともいわれる大量の鉄砲をかき集めていた。当時の鉄砲は装填に時間がかかるという致命的な弱点があったが、信長は防御陣地の背後に鉄砲隊を配置し、組織的な射撃を行うことで武田軍を迎え撃つという、当時としては極めて斬新な戦術を準備したのである。

鉄砲と馬防柵による武田軍の撃破

同年5月21日早朝、武田勝頼は重臣たちの撤退の進言を退け、設楽原の連合軍陣地に向けて全軍で突撃を開始した。武田軍は幾波にも分かれて突撃を繰り返したが、連合軍の周到に構築された馬防柵に行く手を阻まれた。そこに、柵の背後から連合軍の鉄砲隊が猛烈な一斉射撃を浴びせた。

伝統的にこの時の鉄砲戦術は、兵を3列に並べて交代で撃つ「三段撃ち」であったとされてきた。近年の歴史学研究においては、三段撃ちの実在性については議論が分かれているものの、数人が1組となって装填と射撃を分担する交代射撃や、戦区ごとに組織的・連続的な一斉射撃が行われたことは確実視されている。いずれにせよ、大量の火器を密集陣形で集中運用する近代的戦術の前に、刀や槍を中心とした武田軍の白兵突撃は完全に粉砕された。山県昌景、馬場信春、内藤昌豊など、信玄時代から武田家を支えてきた宿老・名将たちが次々と銃弾に倒れ、武田軍は1万近くの死傷者を出して壊滅的な敗北を喫した。

長篠合戦の歴史的意義と影響

長篠合戦は、日本の軍事史において画期的な転換点となった戦いである。個人の武勇や白兵戦に依存する中世的な戦闘から、鉄砲という近代兵器と防御陣地を組み合わせた、集団的・組織的な戦術への移行を決定づけた。これにより、鉄砲の保有数とそれを運用できる経済力(兵站力)が戦国大名の勝敗を分ける時代が本格的に幕を開けた。

政治的な影響も極めて大きかった。この大敗により、東国における最大の脅威であった武田氏は急激に衰退し、1582(天正10)年の武田氏滅亡への決定的な要因となった。一方、背後の憂いを断ち切った織田信長は、翌年に安土城の築城を開始し、越前一向一揆の平定や西国方面への進出など、天下布武(天下統一)へと猛進していくことになる。徳川家康にとっても、東海道における勢力を拡大し、のちの天下取りの基盤を強固にする重要な契機となった。

長篠の戦い (歴史新書y)

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長篠合戦と武田勝頼 (敗者の日本史 9)

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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