金融独占資本
【概説】
昭和初期、五大銀行などの巨大な金融資本が産業界への融資を通じて支配力を強め、日本経済を独占的に動かすようになった状態。1927年の昭和金融恐慌を契機に中小銀行の淘汰と資金の集中が進み、財閥を中心とする高度な経済支配体制が確立された。
昭和金融恐慌と金融資本の集中
大正期から昭和初期にかけての日本経済は、第一次世界大戦後の戦後恐慌や1923(大正12)年の関東大震災による震災手形問題など、断続的な不況に苦しんでいた。その歪みが一気に噴出したのが、1927(昭和2)年の昭和金融恐慌である。渡辺銀行の破綻を端緒とする取り付け騒ぎにより、全国各地で多くの地方銀行や中小銀行が休業・破綻へと追い込まれた。
この過程で、預金者は安全性を求めて、自己資本が充実し社会的信用度の高い大銀行へ預金を移転させた。その結果、三井・三菱・住友・安田・第一のいわゆる五大銀行へ預金が圧倒的に集中することとなった。1920年代末までに、これら五大銀行の預金シェアは全国の数割に達し、金融界における支配的地位を決定づけた。これが、日本における金融独占資本形成の決定的な契機となった。
産業界への支配強化と財閥の多角化
潤沢な資金を手に入れた巨大銀行は、単に資金を融資する立場にとどまらず、融資先企業の株式を保有し、役員を送り込むなどして産業界(産業資本)への直接的な支配を強めていった。特に、銀行を中核に据える三井・三菱・住友・安田などの巨大財閥は、この金融力を背景に、重化学工業をはじめとする多様な産業分野の企業を次々と傘下に収め、系列化(コンツェルン化)を進めた。
また、1930(昭和5)年の昭和恐慌による深刻な不況期において、中小企業が次々と没落する一方、財閥系企業は操業短縮やカルテル(重要産業統制法に基づく産業統制)を通じて市場のシェアをさらに拡大した。このように、銀行資本と産業資本が高度に融合し、少数の巨大資本が国家経済の大部分を独占的に支配・コントロールする構造が、金融独占資本の本質である。
軍部の台頭と戦時統制経済への移行
金融独占資本による経済支配の確立は、一方で深刻な社会矛盾を生み出した。昭和恐慌下における農村の疲弊や失業者の増大を背景に、巨大財閥や金融独占資本は「政商」や「国民を搾取する存在」として、激しい批判の対象となった。特に陸軍の青年将校や右翼勢力からは敵視され、血盟団事件(三井合名の団琢磨暗殺など)や五・一五事件、二・二六事件といった急進的なテロリズムを誘発する一因となった。
これに対し、財閥や金融独占資本は、社会的批判をかわすために株式の公開や寄付(いわゆる「財閥の転向」)を行い、自己防衛を図った。その後、1937(昭和12)年の日中戦争勃発以降は、国家主導の軍事インフレ(国債の大量発行)と戦時統制経済(国家総動員法など)の流れに組み込まれ、軍部や革新官僚と協調しながら、軍需産業を中心とするさらなる独占体制へと変貌を遂げていくこととなった。