連(八色の姓) (むらじ)
【概説】
天武天皇が制定した「八色の姓」において、第7位に位置づけられた姓。かつてヤマト政権下で「臣」と並ぶ最高位の姓であった「連」のうち、上位の姓を与えられなかった中下級豪族などに付与された。天武朝による天皇親政と官僚制導入の過程で、従来の特権的地位から大きく格下げされた存在。
氏姓制度における「連」の本来の地位
古墳時代から飛鳥時代にかけてのヤマト政権において、連(むらじ)は「臣(おみ)」と並ぶ最高政務官を輩出する有力な姓であった。臣が地名に由来し皇別(天皇から分かれたとされる氏)の豪族に与えられたのに対し、連は神話上の神々を祖先とする神別(特定の職業や職能をもって奉仕する伴造系)の豪族である物部氏や大伴氏、中臣氏などに与えられた。彼らは大連(おおむらじ)として国政を主導し、王権の軍事や祭祀を支える極めて高い政治的権力を有していた。
天武天皇による「八色の姓」の導入と「連」の格下げ
しかし、壬申の乱(672年)を経て即位した天武天皇は、天皇中心の中央集権体制(律令国家)の構築を推進した。その一環として684年(天武天皇13年)に断行されたのが八色の姓(やくさのかばね)の制定である。この改革の目的は、従来の世襲的な氏姓序列を解体し、天皇への忠誠度や官人としての実務能力に応じた新たな身分秩序に再編することにあった。
この再編において、従来の有力な「連」の多くは、新設された上位の姓である真人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)へと引き上げられた。特に、天皇への協力姿勢を示した神別豪族は「宿禰」の姓を与えられ、新たな官僚体制へと組み込まれていった。これに対し、上位の姓を獲得できなかった地方の中小豪族や、旧来の地位を維持できなかった中下級の豪族が、第7位の「連」として据え置かれることとなった。結果として、かつての最高位の姓であった「連」は、実質的に中央の政治中枢から排除された階層の姓へと著しく格下げされる歴史的転換を迎えたのである。