通信符 (つうしんふ)
【概説】
室町時代の日朝貿易において、朝鮮王朝が偽使(偽の使節)を防止するために導入した木製の割符。対馬の守護である宗氏に発給され、使節の真偽を判定する外交的手段として機能した。
偽使の横行と朝鮮王朝の苦慮
15世紀前半、李氏朝鮮(朝鮮王朝)は倭寇の禁圧を目的として、日本からの使節や商人を厚くもてなす懐柔政策(歳遣船などの通交制度)をとっていた。しかし、室町幕府や有力大名だけでなく、西国の中小領主や豪商までもが日朝貿易の莫大な利益を求め、実在しない領主や寺社の名義を騙る「偽使」を仕立てて渡航する事例が急増した。
これらの偽使に対しても朝鮮側は外交上の慣例から饗応(もてなし)や回易(貿易)を拒むことが難しく、その結果、朝鮮側の外交経費や賜物の支給負担が激増し、王朝の財政を逼迫させる深刻な社会問題となった。ここに、公式な通交者と偽使を厳格に識別するための仕組みが必要とされたのである。
割符による厳格な照合システム
1454年(宝徳2年/享徳3年)、朝鮮王朝は対馬の守護である宗氏(宗貞国など)に対し、真偽判定のための割符である「通信符」を発給した。これは一つの木札を中央から二つに割り、左半を朝鮮の礼曹(外交を管轄する官庁)に保管し、右半(「特送符」とも呼ばれる)を宗氏へと交付したものである。
宗氏が朝鮮へ送る公式の使節、あるいは宗氏の承認を得た通交者が朝鮮に渡る際、この右半を携帯させ、朝鮮側が保管する左半と合致(符合)するかを確認することで、偽使を徹底的に排除しようとした。こうした実務的な照合制度は、同時代の日明貿易において室町幕府が用いた勘合(勘合符)ときわめて類似した機能を持っていた。
宗氏による日朝貿易統制の確立
通信符の導入は、対馬の宗氏にとって自らの政治的・経済的地位を飛躍的に高める契機となった。通信符の管理権を朝鮮王朝から委ねられたことで、宗氏は日本から朝鮮へ渡航するすべての使節を自らのコントロール下に置くことに成功したのである。
他地域の大名や国人が朝鮮に遣使を望む場合、宗氏を通じて通信符の発給や紹介状(書契)の作成を依頼せねばならず、宗氏はその仲介手数料や貿易の独占権を得て莫大な富を蓄積した。このように通信符は、中世後期から近世へと至る「日朝外交における対馬・宗氏の窓口化(独占化)」を決定づける歴史的遺物となった。