近衛府

宮中の警備や天皇の身辺護衛を担当した役所で、その陣座が公卿会議(陣定)の場所として使われたのは何か。
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【参考リンク】
近衛府(Wikipedia)

近衛府 (このえふ)

8世紀後半〜

【概説】
古代の日本において、天皇の身辺警護や内裏の守護、行幸の供奉などを担当した武官の役所。奈良時代の令外官である授刀衛を起源とし、平安初期に左右近衛府へと再編され、宮廷警備組織である「六衛府」の筆頭として重きをなした。

授刀衛から左右近衛府への変遷

近衛府のルーツは、奈良時代中期に天皇の身辺を警護するために設けられた授刀衛(じゅとうえ)という令外官(律令の規定にない新設の官職)に遡る。これが神護景雲6年(772年)に近衛府と改称され、さらに平安時代初期の807年(大同2年)には平城天皇の官制改革によって中衛府を統合し、左右近衛府へと再編された。811年(弘仁2年)には他の衛府も統合・整理され、左右の近衛府・兵衛府・衛門府からなる六衛府(りくえふ)体制が完成し、近衛府はその中でも最高位の衛府として位置づけられた。

宮廷における役割と歴史的影響

近衛府の主たる実務は、内裏の最も中枢に近いエリアの警備や、天皇の外出時(行幸)における先導・警護であった。近衛府の幹部である大将、中将、少将などの官職は、朝廷内でも非常に格が高く、特に「近衛大将」は大臣クラスの有力公卿が兼任する高貴なポストであった。平安中期以降、律令制的な軍事・治安維持機能が形骸化し、実質的な警察権が検非違使(けびいし)へと移行した後も、近衛府の官職はステータスとして重視され続けた。のちに鎌倉幕府を開く源頼朝が「右近衛大将(右大将)」に任じられたのも、この官職が持つ宮廷的・社会的な権威が極めて高かったからに他ならない。

近衛文麿 (人物叢書 新装版)

揺れ動く近代日本において、混迷を極めた政局の深淵を歩んだ悲劇の宰相の生涯を克明に描き出した評伝。

律令官制と礼秩序の研究

古代国家の根幹をなす官職と礼の構造を精緻に読み解き、律令制度が形作った秩序の本質に迫る学術的研究。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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