近衛府 (このえふ)
8世紀後半〜
【概説】
古代の日本において、天皇の身辺警護や内裏の守護、行幸の供奉などを担当した武官の役所。奈良時代の令外官である授刀衛を起源とし、平安初期に左右近衛府へと再編され、宮廷警備組織である「六衛府」の筆頭として重きをなした。
授刀衛から左右近衛府への変遷
近衛府のルーツは、奈良時代中期に天皇の身辺を警護するために設けられた授刀衛(じゅとうえ)という令外官(律令の規定にない新設の官職)に遡る。これが神護景雲6年(772年)に近衛府と改称され、さらに平安時代初期の807年(大同2年)には平城天皇の官制改革によって中衛府を統合し、左右近衛府へと再編された。811年(弘仁2年)には他の衛府も統合・整理され、左右の近衛府・兵衛府・衛門府からなる六衛府(りくえふ)体制が完成し、近衛府はその中でも最高位の衛府として位置づけられた。
宮廷における役割と歴史的影響
近衛府の主たる実務は、内裏の最も中枢に近いエリアの警備や、天皇の外出時(行幸)における先導・警護であった。近衛府の幹部である大将、中将、少将などの官職は、朝廷内でも非常に格が高く、特に「近衛大将」は大臣クラスの有力公卿が兼任する高貴なポストであった。平安中期以降、律令制的な軍事・治安維持機能が形骸化し、実質的な警察権が検非違使(けびいし)へと移行した後も、近衛府の官職はステータスとして重視され続けた。のちに鎌倉幕府を開く源頼朝が「右近衛大将(右大将)」に任じられたのも、この官職が持つ宮廷的・社会的な権威が極めて高かったからに他ならない。