農商務省 (のうしょうむしょう)
【概説】
明治から大正期にかけて、日本の農業・商業・工業・水産業などの産業行政を一元的に担った中央官庁。内務省や大蔵省、工部省などに分散していた勧業・殖産興業に関する業務を統合し、日本の資本主義発達を国家主導で牽引する司令塔としての役割を果たした。
設立の歴史的背景と「明治十四年の政変」
明治政府は発足以来、欧米列強に対抗するために殖産興業政策を強力に推し進めていた。しかし、その実務は内務省、大蔵省、工部省などの複数の省庁に分散しており、非効率さが大きな課題となっていた。特に大久保利通の暗殺後、大隈重信による積極財政から松方正義による緊縮財政(松方デフレ)への転換期にあたり、行政組織の整理と効率化が急務であった。
こうした中、1881(明治14)年4月、内務省の勧業局や大蔵省の商務局などを統合する形で農商務省が新設された。これは同年に起こった「明治十四年の政変」と連動する権力再編の一環でもあり、政府の主導権を握った薩長藩閥による中央集権的な国家体制の確立を意味していた。初代農商務卿には土佐藩出身の河野敏鎌が就任し、のちに1885年に内閣制度が創設されると、初代農商務大臣には谷干城が任じられた。
産業近代化の推進と「官有物払い下げ」
農商務省の主な使命は、日本の近代資本主義の育成であった。同省は、それまで政府が多大な資金を投じて維持していた官営模範工場を、民間に売却する官有物払い下げの実務を担った。松方デフレによる財政再建策とも連動し、これらの工場や鉱山が三井や三菱といった政商へ安価で払い下げられたことは、日本の民間資本主義が急速に発展する大きな契機となった。
また、同省は農業分野においては農事試験場や蚕業試験場を設立して近代的な農業技術の普及を図り、工業分野では特許制度(専売特許条例)の創設や度量衡の統一、商業分野では貿易振興や博覧会の開催など、多岐にわたる勧業政策を展開した。これにより、日本は日清・日露戦争期にかけて急速な産業革命を達成することとなる。
産業構造の変化と「農商分離」
明治後期から大正期にかけて、日本の産業構造は大きな変貌を遂げた。第一次世界大戦期の「大戦景気」を契機に、従来の軽工業中心の経済から重化学工業化が進み、商業や工業の規模が飛躍的に拡大した。これに伴い、寄生地主制の動揺や小作争議の激発に直面する「農業行政」と、労働運動の活発化や国際競争への対応を迫られる「商工行政」を、一つの省庁で一元的に管理することは困難となった。
その結果、1925(大正14)年に農商務省は廃止され、新たに農林省(現:農林水産省)と商工省(のちの通商産業省、現:経済産業省)に分割された。これを「農商分離」と呼ぶ。この組織改編は、日本が農業国家から工業国家へと完全に転換したことを象徴する歴史的転換点であった。