護憲三派

第二次護憲運動において提携し、清浦内閣を倒すために共闘した憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党を総称して何というか?
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★★★

【参考リンク】
護憲三派(Wikipedia)

護憲三派 (ごけんさんぱ)

1924年

【概説】
1924年(大正13年)、清浦奎吾の超然内閣に反対し、第二次護憲運動を展開するために結成された憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党の総称。同年の総選挙で圧勝して清浦内閣を打倒し、加藤高明を首相とする連立内閣を組織した。長年の懸案であった普通選挙法を成立させるなど、「憲政の常道」と呼ばれる本格的な政党内閣時代の幕開けをもたらした。

第二次護憲運動と三派結成の背景

1923年(大正12年)末の虎ノ門事件により第2次山本権兵衛内閣が総辞職した後、翌1924年1月に枢密院議長の清浦奎吾(きようらけいご)が大命降下を受け組閣した。清浦内閣は、陸海軍および外務大臣を除く全閣僚を、貴族院の最大会派である「研究会」から登用した典型的な超然内閣(政党の意向を無視し、非政党員を中心に構成された内閣)であった。

原敬内閣以降、着実に政党政治の発展を期待していた国民やジャーナリズムにとって、貴族院を背景とした内閣の出現は、時代逆行の「特権階級による専制政治」と映った。これに対し、再び「憲政擁護」を掲げて立ち上がったのが第二次護憲運動であり、その運動の政治的中心として結束したのが「護憲三派」である。

「護憲三派」を構成した政党と政友会の分裂劇

護憲三派を構成したのは、憲政会(総裁:加藤高明)、立憲政友会(総裁:高橋是清)、革新倶楽部(犬養毅)の3党である。この三派結成の過程で、特に激しい動きを見せたのが立憲政友会であった。

当時、政友会内部では、清浦内閣を支持して政権にすり寄ろうとする床次竹二郎(とこなみたけじろう)らの勢力が離党し、新たに政友本党を結成した。これにより政友会は衆議院第一党の座を失い、一時的に党勢を大きく後退させた。しかし、逆に党内に残存した高橋是清らは反清浦の姿勢を鮮明にすることができ、憲政会、革新倶楽部と手を結んだ。三党は関西の有志大会を皮切りに、「政党内閣の樹立」「普通選挙の断行」「貴族院の改革」の三項目を共通のスローガンに掲げ、全国的な大衆運動を展開していった。

総選挙での圧勝と加藤高明内閣の成立

世論の激しい反発を受けた清浦内閣は、衆議院を解散して事態の打開を図った。1924年(大正13年)5月に実施された第15回衆議院議員総選挙において、護憲三派は国民の圧倒的な支持を背景に281議席(憲政会151、政友会100、革新倶楽部30)を獲得し、定数464のうち絶対多数を占める大勝を収めた。一方、政府与党の立場にあった政友本党は109議席にとどまり惨敗した。

この結果を受け、清浦内閣は総辞職を余儀なくされた。同年6月、元老・西園寺公望の推挙により、衆議院第一党となった憲政会総裁の加藤高明を首相とし、高橋是清(農商務相)や犬養毅(逓信相)も入閣する護憲三派の連立内閣が成立した。これこそが、民意を反映した本格的な政党内閣の誕生であった。

護憲三派内閣の歴史的意義と崩壊

加藤高明内閣は、大正デモクラシーの結実とも言える重要な政策を次々と実行した。最大の実績は、1925年(大正14年)に成立した普通選挙法である。これにより納税資格が撤廃され、満25歳以上のすべての男子に選挙権が付与された。一方で、同時期に高まっていた社会主義運動や共産主義運動の広がりを警戒し、国体変革や私有財産制度の否認を目的とする結社を罰する治安維持法を制定したことは、日本近代史において極めて重要な「アメとムチ」の政策として評価されている。さらに外交面では日ソ基本条約を締結してソ連と国交を樹立し、軍事面では宇垣軍縮を断行して財政整理を図った。

しかし、護憲という目的を達成したことで三派の結束は次第に弱まり、1925年8月に政友会の総裁が高橋是清から田中義一に交代すると、憲政会との対立が表面化して連立内閣は崩壊した(以降は加藤高明による憲政会の単独内閣へ移行)。三派提携の期間は約1年半と短かったものの、護憲三派の勝利によって確立された「衆議院の多数党の党首が内閣を組織する」という原則は、1932年の五・一五事件で犬養毅内閣が倒れるまで続く「憲政の常道」の出発点となり、日本の近代政治史において計り知れない意義を持っている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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