職業婦人
【概説】
大正時代から昭和初期にかけて、都市部を中心に社会に進出し、新しい職種に就くようになった女性たちの総称。電話交換手やタイピスト、バスの車掌、事務員などに従事し、経済的自立を目指す新しい女性の生き方として社会的な注目を集めた。日本の資本主義の発達と都市大衆文化の形成を背景に誕生し、女性の社会進出の先駆けとなった重要な歴史的現象である。
資本主義の発達と労働市場の変化
大正時代における「職業婦人」の登場は、第一次世界大戦(1914〜1918年)に伴う未曾有の好景気(大戦景気)と、それに続く日本資本主義の飛躍的な発達に深く起因している。重化学工業化が進むと同時に、大企業を中心とした近代的な会社制度が整備され、都市部ではホワイトカラーと呼ばれる新中間層が急増した。それに伴い、書類作成や通信連絡、接客などの三次産業および事務部門の労働需要が拡大したが、この新たな労働力を埋める存在として期待されたのが、女学校などで一定の高等教育を受けた女性たちであった。
代表的な職種と憧れの対象
職業婦人が就いた代表的な職業には、電話交換手、和文や英文のタイピスト、バスの車掌(バスガール)、会社や役所の事務員、デパートの店員、看護婦、教員などがある。特に電話交換手やタイピストなどは、近代的な機械を扱う当時の最先端の職種であり、知的なイメージと相まって多くの女性の憧れの的となった。彼女たちは自らの技能によって給与を得ることで、従来の「家」制度や良妻賢母の規範にとらわれない、新しいライフスタイルを切り開いていった。
女性解放運動と「新しい女」
この現象は、思想的・社会的な運動とも密接に連動していた。明治末期から大正時代にかけて、平塚らいてうらが結成した青鞜社をはじめとする女性解放運動は、「新しい女」という概念を世に問い、女性の自我の覚醒と精神的・経済的な自立を訴えた。大正デモクラシーと呼ばれる自由主義的・民主主義的な風潮の中で、職業婦人はまさに「新しい女」が社会において経済的自立を実践する姿として立ち現れたのである。
モガ(モダンガール)と大衆文化の牽引
また、職業婦人は大正末期から昭和初期にかけての都市大衆文化の重要な担い手でもあった。自ら稼いだ自由裁量所得を持つ彼女たちは、洋服や化粧品を購入し、休日はカフェや映画館、デパートで余暇を楽しむ消費主体となった。こうした生活様式は、当時の流行の最先端を行くモガ(モダンガール)のイメージとも重なり合い、近代日本の都市風俗を鮮やかに彩った。
労働環境の現実と限界
一方で、職業婦人の労働環境は決して恵まれたものばかりではなかった。男性のホワイトカラーと比較して賃金は低く設定されており、多くの場合、女性の労働は「結婚までの腰掛け(一時的な労働)」と見なされていた。結婚や出産を機に退職を迫られる慣行が根強く、長期的なキャリア形成は困難であった。さらに、1930年代に入り昭和恐慌や戦争への足音が近づくと、雇用情勢の悪化とともに彼女たちの立場も再び厳しいものとなっていった。しかし、職業婦人たちが直面した困難を乗り越えて切り開いた「女性が社会に出て自立する」という道筋は、戦後の女性労働の基盤を形成する重要な第一歩となったのである。