橘嘉智子 (たちばなのかちこ)
786年〜850年
【概説】
平安時代初期の嵯峨天皇の皇后。橘氏出身者として初めて皇后に立てられ、その深い仏教信仰から「檀林皇后」と称された。一族の子弟教育のために大学別曹である学館院を設立したことでも知られる人物。
橘氏初の皇后誕生とその政治的背景
橘嘉智子は、参議・橘清友の娘として生まれた。嵯峨天皇の寵愛を受け、のちの仁明天皇となる正良親王らを産む。815(弘仁6)年に皇后に立てられた。奈良時代の藤原光明子(光明皇后)以来となる非皇族(臣籍出身者)からの立后であり、橘氏としては初の快挙であった。この背景には、薬子の変(平城太上天皇の変)を経て政権の安定を図る嵯峨天皇が、藤原氏一辺倒の権力集中を避け、橘氏との連携を強化しようとした政治的意図が存在したとされる。
学館院の創設と仏教への傾倒
嘉智子は、一族の社会的・政治的地位の維持と官僚養成のため、兄の橘氏公とともに橘氏の大学別曹(一族の私立寄宿宿舎・教育機関)である学館院を設立した。これは藤原氏の勧学院や和気氏の弘文院に並ぶものであり、橘氏の学問的・教養的基盤を支える役割を果たした。
また、彼女は仏教に深く帰依し、唐から禅僧の義空を招いて京都の嵯峨野に日本初の禅道場とされる檀林寺を創建した。この功績から「檀林皇后」と仰がれるようになった。さらに、自らの美貌が招く人の世の執着を戒めるため、死後に自らの遺体が朽ち果てていく様子を絵師に描かせたという「九相図(くそうず)」の伝説でも有名である。