東塔
【概説】
平城京の薬師寺において、創建当時(奈良時代前期)から唯一現存する仏塔。各層に裳階(もこし)が設けられており、六重塔にも見える優美な外観を持つ三重塔である。飛鳥時代後期から奈良時代にかけての建築様式を今に伝える、日本建築史上の最高傑作のひとつとして国宝に指定されている。
平城京への薬師寺移転と東塔の建立
薬師寺はもともと、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願し、天武天皇9年(680年)に藤原京にて発願された寺院である。その後、和銅3年(710年)の平城京遷都に伴い、現在の奈良市西ノ京町へと移転された。この平城京の薬師寺伽藍のなかで、度重なる兵火や災害を免れ、奈良時代前期から唯一現在まで姿をとどめているのが東塔である。
東塔の建立年代については、長らく「藤原京にあった塔を解体して平城京へ移した」とする移建説と、「平城京で新たに建てられた」とする非移建説(新築説)の間で激しい論争が交わされてきた。しかし、近年の平成・令和の解体修理(2009~2020年)において実施された部材の年輪年代測定の結果、心柱などの主要部材が720年代に伐採されたことが判明した。これにより、平城京遷都後の天平2年(730年)に新造されたとする非移建説が現在ではほぼ確定している。
「凍れる音楽」と称される裳階の造形美
東塔の最大の特徴は、一見すると六重塔に見えるその独特の構造である。これは本来の三層の屋根の下に、それぞれ裳階(もこし)と呼ばれるひさし状の小さな屋根が設けられているためである。大きな屋根と小さな屋根が交互に重なり合うことで生み出されるリズミカルで軽快な外観は、明治時代にお雇い外国人として来日した美術史家アーネスト・フェノロサによって「凍れる音楽」と形容されたと伝えられ、その類まれな建築美は高く評価されてきた。
内部の心柱は、初層から相輪の先端まで塔全体を貫く構造となっている。また、三手先(みてさき)と呼ばれる複雑な組物を用いて深い軒を支えるなど、大陸から伝来した高度な建築技術が和様へと昇華されていく過程を見て取ることができる。
水煙に舞う飛天と白鳳・天平の息吹
塔の最上部にそびえる相輪(そうりん)には、炎や水を象徴し火災除けの意味を持つ水煙(すいえん)が掲げられている。東塔の水煙には、笛を吹き、花籠を手にして天空を舞う24体の飛天(ひてん)が透かし彫りで精緻に表現されている。風になびく衣の柔らかな表現や、軽やかに舞う飛天の躍動感は、大陸の初唐美術の影響を受けた白鳳文化の優美さを象徴する金工芸術の傑作として名高い。
東塔は天平期(730年)の建立でありながら、建築意匠や装飾の端々に白鳳文化の様式を色濃く残している。つまり、大らかで瑞々しい白鳳文化から、より国際的でスケールの大きな天平文化へと移行する過渡期の歴史的息吹を体現する、極めて重要な文化遺産なのである。