東京オリンピック
【概説】
1964年(昭和39年)10月、日本の東京で開催されたアジア初となる夏季オリンピック競技大会。第二次世界大戦の敗戦から目覚ましい戦後復興を遂げた日本の姿を世界にアピールし、大規模なインフラ整備を通じて高度経済成長をさらに加速させる契機となった。
「幻の大会」を乗り越えたアジア初の開催
日本におけるオリンピック招致の歴史は戦前に遡る。1940年(昭和15年)に東京での開催が一度は決定していたものの、日中戦争の長期化や国際社会からの非難、国内における軍部からの反対などにより開催権を返上した「幻の東京オリンピック」の苦い過去があった。第二次世界大戦での敗戦後、1952年のサンフランシスコ平和条約発効によって国際社会への復帰を果たした日本は、国家の威信をかけて再びオリンピックの招致に動いた。そして1959年(昭和34年)、西ドイツ(当時)のミュンヘンで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会において、デトロイトやウィーンなどの競合都市を破り、悲願であったアジア初のオリンピック開催が決定したのである。
巨大な国家プロジェクトとインフラの劇的整備
1964年の東京オリンピックは、単なるスポーツの祭典にとどまらず、日本の近代化と都市改造を伴う巨大な国家プロジェクトであった。大会に向けて巨額の国家予算が投じられ、開会式の直前である同年10月1日には東海道新幹線が開業した。また、首都高速道路や東京モノレールが急ピッチで整備され、都内の交通網は劇的な近代化を遂げた。
競技施設群においても、建築家・丹下健三の設計による国立屋内総合競技場(現在の国立代々木競技場)や、日本武道館などが建設され、日本の優れた建築技術とデザイン性を世界に示した。さらに、開会式の模様は日米間で打ち上げられた通信衛星「シンコム3号」を通じて世界へ生中継されるなど、日本の高い科学技術力を誇示する晴れ舞台ともなった。
国民的熱狂とテレビ時代の本格的幕開け
1964年10月10日の開会式(この日は後に「体育の日」として国民の祝日となる)から15日間にわたって行われた大会には、93の国と地域が参加した。日本は金メダル16個、銀メダル5個、銅メダル8個を獲得し、アメリカ、ソ連に次ぐ世界第3位の好成績を収めた。特に、大松博文監督率いる女子バレーボール日本代表(通称「東洋の魔女」)の金メダル獲得や、体操競技での圧倒的な活躍、新設された柔道の無差別級でオランダのアントン・ヘーシンクに敗れ日本の精神性が問われた出来事などは、国民に強い印象を残した。
また、この大会を機に家庭へのカラーテレビの普及が爆発的に進み、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の「三種の神器」から、カラーテレビ・クーラー・自動車の「新・三種の神器(3C)」へと移行する大衆消費社会の進展を象徴する出来事ともなった。
国際社会への完全復帰と先進国入り
東京オリンピックの成功は、日本が「戦後」という時代を完全に脱却し、経済大国・平和国家として国際社会の主要メンバーに復帰したことを世界に強く印象づけた。大会開催と同年の1964年4月には、日本は国際通貨基金(IMF)の8条国へ移行し、さらには経済協力開発機構(OECD)への加盟を果たし、名実ともに先進国の仲間入りを果たしている。
オリンピック終了後、大規模なインフラ投資が一段落したことで一時的な「証券不況(昭和40年不況)」に見舞われたものの、政府の戦後初となる赤字国債の発行などによってこれを乗り切り、整備された交通・通信インフラの遺産は、その後のいざなぎ景気へと繋がっていく基盤となった。東京オリンピックは、日本の高度経済成長期の頂点へと向かう決定的なターニングポイントであったと評価できる。