新自由(新保守)主義 (しんじゆうしんほしゅしゅぎ)
【概説】
国家による市場への介入を縮小し、規制緩和や国営企業の民営化を通じて市場競争を促進しようとした経済思想。第二次世界大戦後の福祉国家路線(ケインズ主義)が行き詰まる中で台頭し、1980年代の日本においては中曽根康弘内閣による行政改革や「三公社」の民営化として具体化された。
ケインズ主義の限界と世界的な新自由主義の台頭
第二次世界大戦後の主要先進国は、政府が積極的に経済へ介入して完全雇用と社会保障の充実を目指す、ケインズ主義的な「福祉国家」政策を推進してきた。しかし、1970年代のオイルショックを契機として、不況とインフレーションが同時に進行する「スタグフレーション」が発生すると、従来の政策は機能不全に陥った。財政赤字の拡大や、肥大化した政府部門の非効率性が厳しく批判されるようになったのである。
こうした中で台頭したのが、市場メカニズムの自己調整能力を最大限に重視する新自由主義(ネオリベラリズム)の思想である。イギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権は、「小さな政府」を標榜して増税の抑制、規制緩和、国営企業の民営化、社会保障費の削減などを次々と断行した。この動きは、愛国心や道徳観の再評価を掲げる「新保守主義」的な政治潮流とも強く結びつき、1980年代の世界的な大潮流となった。
中曽根康弘内閣による「戦後政治の総決算」と民営化
日本においてこの新自由主義改革を先導したのが、1982年に発足した中曽根康弘内閣である。中曽根首相は「戦後政治の総決算」を掲げ、増税なき財政再建を標榜して行政改革を推進した。その象徴となったのが、第二次臨時行政調査会(臨調、土光敏夫会長)の答申に基づく、いわゆる「三公社」の民営化である。
この改革により、日本専売公社は日本たばこ産業(JT)に、日本電信電話公社は日本電信電話(NTT)に、そして巨額の累積赤字が社会問題化していた日本国有鉄道(国鉄)は分割されてJR各社へと生まれ変わった。これらは市場の競争原理を導入してサービスの向上や効率化を図ると同時に、当時、強力な革新系支持基盤であった国鉄労働組合(国労)などの影響力を減退させる政治的目的も内包していた。また、中曽根はアメリカのレーガン大統領との間で緊密な「ロン・ヤス関係」を築き、防衛費のGNP1%枠突破など、安全保障面でも新保守主義的な姿勢を鮮明にした。
新自由主義改革がもたらした光と影
1980年代に定着した新自由主義的な改革路線は、その後の日本経済と社会構造に決定的な変容をもたらした。バブル崩壊後の「失われた10年」を経て、2000年代前半の小泉純一郎内閣による「聖域なき構造改革」(郵政民営化や労働派遣法の規制緩和など)へと引き継がれ、徹底された。
この一連の改革は、官僚主導から民間主導への転換を促し、グローバル化に対応した産業の効率化や消費者利便性の向上という「光」をもたらした。しかしその一方で、雇用の非正規化が進んだことによる貧困層の増大や所得格差の拡大を招き、「一億総中流」と称された社会を解体へと導く「影」も生み出した。地方の公共サービスの衰退やセーフティネットの弱体化など、現代日本が直面する構造的課題の多くは、この1980年代に始まった改革路線が源流となっている。