徳政

鎌倉時代後期に生活が苦しくなった御家人を救済するため、幕府が借金の帳消しや土地の無償返還を命じた法令(政策)を何というか?
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徳政

【概説】
本来は為政者が行う「有徳の政治」を意味したが、鎌倉時代以降は幕府が御家人などの困窮を救済するために発布した、借金の帳消しや質流れした土地の無償返還を命じる政策。貨幣経済の浸透や戦乱による社会不安を背景に発令されたが、室町時代には民衆が実力で借金破棄を求める「徳政一揆」へと発展し、中世社会の経済や身分秩序に大きな影響を与えた。

「有徳の政治」から「債務破棄」への転換

「徳政」とは本来、古代中国の儒教思想に基づく「有徳の政治」を意味する言葉であった。日本においても、平安時代から鎌倉時代初期にかけては、天災や飢饉などの異変が起きた際に、朝廷(天皇)が社会を刷新するために行う改元や新制の発布、あるいは訴訟の迅速な処理などを指して「徳政」と呼んでいた。しかし、中世社会において貨幣経済が浸透し、武士や民衆の間に経済的な格差が広がると、「徳政」の意味合いは大きく変化する。土地の売買や貸借関係を権力者の力で白紙に戻し、元の持ち主へ返還させるという、実質的な「債務破棄」や「所領回復」を指す歴史用語として定着していったのである。

鎌倉幕府による御家人救済と「永仁の徳政令」

鎌倉時代中期以降、農業生産力の向上に伴い宋銭などの貨幣が大量に流通し、武家社会にも貨幣経済が急速に浸透した。加えて、分割相続による所領の細分化や、元寇(蒙古襲来)における軍役の負担が重くのしかかり、借金をして所領を質入れ・売却する御家人が急増した。こうした御家人の没落は、幕府の軍事力と「御恩と奉公」の主従関係を根底から揺るがす危機であった。

そこで鎌倉幕府は、御家人の救済と所領の維持を目的として、1297年(永仁5年)に9代執権・北条貞時のもとで永仁の徳政令を発布した。これは、御家人が売却・質入れした所領の無償返還を命じるとともに、金銭の貸借に関する訴訟を幕府が受理しないことを定めた画期的な法令であった。しかし、一時的な救済にはなったものの、借金を帳消しにされた金融業者(借上など)は武士への融資を渋るようになり、結果的に御家人の経済状況をさらに悪化させるという矛盾を露呈した。

室町時代の「徳政一揆」と幕府の対応

室町時代に入ると、「徳政」の主体や要求のあり方が大きく変化する。農業や手工業の発展によって村落共同体(惣村)が形成されると、農民や馬借などの民衆が団結し、実力行使によって借金の帳消しを要求するようになった。これが徳政一揆(土一揆)である。1428年の正長の土一揆では、農民らが自発的に借金証文を破棄する「私徳政」が行われ、1441年の嘉吉の徳政一揆では、ついに室町幕府に公的な徳政令を発布させるに至った。

当初、室町幕府は一揆を武力で鎮圧しようとしたが、次第に頻発する徳政要求を利用するようになる。幕府は徳政令を発布する見返りとして、債務額の一定割合(通常は10分の1)を分一銭(ぶいちせん)として債務者から徴収し、財政難に苦しむ幕府の新たな収入源としたのである。また、逆に債権者(土倉や酒屋)が分一銭を幕府に納めることで、徳政令の対象から除外される「分一徳政」も行われるなど、徳政は幕府の財政政策の道具へと変質していった。

徳政思想の根底にある「本主権」と中世社会

中世において徳政が頻繁に行われ、また民衆からも熱狂的に支持された背景には、当時の社会に広く根付いていた独自の土地観念がある。それは「土地は本来の持ち主(先祖伝来の所有者)のもとに帰るべきである」という本主権(ほんしゅけん)の思想であり、売買や借金のかたとして他人の手に渡った土地であっても、一定の条件や権力者の「徳政」によって取り戻すことができると考えられていた。

この思想は戦国時代になっても生き続け、戦国大名が領国の安定を図るために独自の徳政令を発布するケース(身売りされた人の解放や未納年貢の免除など)も見られた。中世日本の徳政は、単なる経済的な混乱の表れではなく、当時の人々が持っていた所有権に対する独特の価値観と、権力による社会秩序の再構築という複雑な歴史的背景を持っていたのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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Q. 伊能忠敬の全国測量をもとに、彼の死後に弟子たちによって完成され、幕府に献上された非常に精巧な日本地図の名称は何か?
Q. 伝統的な権威を軽視する「バサラ」の風潮が流行し、軍記物語などが好まれた南北朝時代の文化を何というか?
Q. 764年、道鏡を寵愛する孝謙上皇と対立した藤原仲麻呂が挙兵したが、逆に討伐されて敗死した事件を何というか?