弥勒菩薩

重要度
★★

弥勒菩薩 (みろくぼさつ)

【概説】
釈迦の入滅後、56億7千万年後の未来に現れて人々を救済すると約束されている菩薩。飛鳥時代に朝鮮半島を経由して日本に伝来し、主に半跏思惟像(はんかしゆいぞう)の姿で表され、初期仏教信仰において重要な役割を果たした。

未来の救世主としての弥勒信仰とその伝来

弥勒菩薩は、仏教の創始者である釈迦の次に仏となることが約束された「未来仏」である。現在は天界の一つである兜率天(とそつてん)で修行中であり、釈迦が亡くなってから56億7千万年という途方もない歳月が流れたのち、この世(下界)に下生して人々を救うとされている。

この弥勒信仰は、6世紀の仏教伝来とともに日本に流入した。当時はまだ仏教が受容されて間もない時期であり、人々は死後の救済や国家の安寧を、未来の救世主である弥勒菩薩に託した。特に聖徳太子(厩戸王)をはじめとする飛鳥時代の支配層の間で深く信仰され、彼らが建立した寺院の本尊や礼拝対象として数多く造像された。

半跏思惟の造形美と飛鳥・白鳳文化

日本における初期の弥勒菩薩像は、右脚を左太ももの上にのせ、右手の指先を頬に軽く当てて思索にふける半跏思惟像のスタイルをとることが多い。この独特の姿勢は、「いかにして衆生を救うべきか」を深く瞑想している姿を表しているとされ、朝鮮半島の三国(特に百済や新羅)で流行した様式が日本へ伝播したものである。

飛鳥・白鳳時代の代表的な作例として、京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(赤松材、国宝彫刻第1号)や、奈良・中宮寺の菩薩半跏像(クスノキ材、一般に弥勒菩薩とされる)が非常に名高い。特に広隆寺の像は、アカマツという日本には少ない木材が使われていることや、韓国の国立中央博物館が所蔵する金銅弥勒菩薩半跏像と酷似していることから、朝鮮半島からの渡来仏、あるいは渡来系技術者による制作である可能性が極めて高いとされ、当時の東アジアにおける文化交流の密接さを物語っている。

後世への展開と「みろくの世」への変容

弥勒菩薩への信仰は、飛鳥時代の一過性の流行にとどまらず、その後の日本史においても変容しながら受け継がれた。平安時代に入ると、仏教の暗黒期とされる「末法(まっぽう)の世」の到来に備え、経典を金属や陶製の筒(経筒)に入れて土中に埋める経塚(きょうづか)が流行したが、これも「56億7千万年後の弥勒下生の時まで経典を保存する」という弥勒信仰に基づいていた。

さらに中世から近世にかけては、社会の不条理や困窮に苦しむ民衆の間で、弥勒が天下って理想社会をもたらすという「みろくの世」の思想へと昇華した。これは東日本を中心とした「ミルク(弥勒)信仰」や、一揆・世直し運動の精神的支柱となり、後世の民衆宗教(新宗教など)の教義にも大きな影響を与えることとなった。

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