官位相当制 (かんいそうとうせい)
【概説】
個人の序列を示す「位階」と、朝廷の職務を示す「官職」を緊密に連動させた、律令国家における官僚制の基本原則。役人の地位(位階)の高さに応じて、就任できる役職(官職)が明確に規定された。これにより、天皇を中心とする体系的な官僚組織が構築されることとなった。
律令国家の骨格をなす「官」と「位」のシステム
官位相当制は、大宝律令(701年)および養老律令(718年)によって整備された、二官八省を中枢とする官僚機構の土台である。「位階(個人の序列・身分)」と「官職(具体的な朝廷の役職)」が厳密に対応しており、例えば太政大臣や左右大臣といった最高幹部にはふさわしい高位の位階(三位以上)が必要であり、逆に下級官吏にはそれに応じた低い位階が求められた。
この制度のもとでは、官人はまず天皇から「位階」を授けられ、その後にその位階に相当する「官職」に任命されるという手続きをとった。これによって、個人の能力や家柄を客観的な指標である「位階」に置き換え、それをもとに効率的な人事配置を行うことが可能となった。これは、古代の氏姓制度に見られた、特定の氏族が特定の職務を世襲するあり方からの大きな転換を意味していた。
冠位十二階から律令制への変遷
官位相当制の源流は、推古天皇の時代に聖徳太子(厩戸王)らが定めた冠位十二階(603年)にまで遡ることができる。冠位十二階は氏族ではなく個人に冠位を授ける画期的な制度であったが、この段階では「位(冠位)」と「官(実際の職務)」との体系的な連動は不十分であった。
大化の改新(645年)以降、中央集権化が急速に進むなかで、冠位制度は段階的に細分化・改訂されていった。天武天皇の時代には「冠位四十八階」、持統天皇の時代には「冠位六十階」へと整備され、唐の律令官制を模範としながら、日本の実情に合わせた官僚制へと進化を遂げた。これが701年の大宝律令の制定に結実し、完成された「官位相当制」として確立したのである。
官僚制の機能と「蔭位の制」による世襲化
官位相当制は能力主義的な側面を持つ一方で、実際には高位の貴族階級の特権を維持するための補完的制度も内包していた。その代表例が蔭位の制(おんいのせい)である。これは、三位以上の高官(貴族)の子や孫、あるいは四位・五位の者の子に対して、本人の試験成績などに関わらず、父祖の位階に応じた一定の位階を無条件に授与する特権制度であった。
この蔭位の制の存在により、五位以上の「通貴」と呼ばれる貴族層の特権は固定化され、官位相当制が本来目指した「実力本位の官僚登用」は制限されることとなった。結果として、平安時代へと移行するにつれて、藤原氏をはじめとする有力貴族による官職の寡占と世襲化が進み、官位相当制は能力主義の道具から、家格(家柄の序列)を維持・確認するための制度へと変質していくこととなった。