夢殿 (ゆめどの)
【概説】
奈良県斑鳩町の法隆寺東院伽藍の中心に位置する、天平文化を代表する八角円堂。聖徳太子の住まいであった斑鳩宮の跡地に建てられ、太子を供養するための聖地としての役割を担った。堂内には、太子の等身像とされる秘仏・救世観音像が安置されている。
斑鳩宮の荒廃と行信による東院の建立
かつてこの地には、聖徳太子が造営し、政治や生活の拠点とした斑鳩宮が存在していた。しかし、太子の没後の643年、息子の山背大兄王ら上宮王家(聖徳太子の一族)が蘇我入鹿の軍勢に攻め込まれて滅亡した際、斑鳩宮も焼失し、その後は長く荒廃したまま放置されていた。
奈良時代中期の天平年間、太子の遺徳を崇敬する僧・行信(ぎょうしん)がこの地の荒廃を嘆き、太子の供養と一族の冥福を祈るために、聖武天皇の皇后である光明皇后らの帰依と援助を得て、739年(天平11年)に東院伽藍を創建した。その中心的な仏堂として建立されたのが夢殿である。「夢殿」という名は、かつて太子がこの地で思索にふけり、夢の中で仏から教えを授かったという伝説に由来している。
建築的特徴としての「八角円堂」
夢殿の最大の特徴は、平面が八角形をした八角円堂である点である。仏教建築において、八角形などの多角形円堂は、高貴な人物の供養や記念碑的な意味合いを持つ建物に多く採用される。二重の石造基壇の上に立ち、屋根は八角の錐状で、頂部には大きな蓮華座の上に精巧な意匠の宝珠(露盤、宝瓶など)が据えられている。
現在の夢殿は、鎌倉時代中期の1230年に僧・湛海らによって解体大修理が施されており、軒が深く、屋根の勾配が急になるなどの改変が加えられている。しかし、全体の骨組みや天平時代の様式美は色濃く残されており、古代の建築技術の高さを今に伝える貴重な遺構として国宝に指定されている。
秘仏・救世観音像の安置と近代の発見
夢殿の堂内中央にある八角の須弥壇には、本尊である木造の救世観音(くせかんのん)像(国宝)が安置されている。この像は飛鳥時代を代表する木彫像であり、聖徳太子の等身像として信仰され、長年にわたり白布に巻かれた「絶対の秘仏」として厳重に封印されてきた。
この秘仏の封印を解いたのが、明治時代の1884年、文部省の宝物調査で法隆寺を訪れたアメリカの美術史家フェノロサと、その弟子である岡倉天心であった。寺側は「開扉すればたちまち天変地異が起こる」として強く拒絶したが、彼らは説得を重ねて開扉を断行した。現れた救世観音像は、飛鳥時代特有のアルカイック・スマイル(古拙の微笑)や左右対称の飛鳥調の意匠、さらには保存状態の極めて良好な金箔の輝きを保っており、日本美術史の最高峰として世界的に注目を集めることとなった。