堺
【概説】
和泉国(現在の大阪府)に位置する、室町時代から安土桃山時代にかけて繁栄した日本を代表する港町。遣明船(勘合貿易)の拠点として発展し、のちに細川氏が日明貿易の実権を握る拠点とした。戦国時代には有力商人による高度な都市自治が行われ、鉄砲の生産や茶の湯の中心地としても歴史的に重要な役割を果たした。
日明貿易の拠点としての台頭
堺は、摂津・河内・和泉の三国の国境(境)に位置することが地名の由来とされる。古くから漁港・海港として存在していたが、室町時代に日明貿易(勘合貿易)の拠点となったことで飛躍的な発展を遂げた。当初、遣明船の主な発着港は兵庫湊(現在の神戸港)であったが、応仁の乱(1467年〜)以降、幕府の管領である細川氏が堺を拠点とし、独自のルートで貿易の実権を握るようになった。これに対し、兵庫湊や博多を拠点とする大内氏が激しく対立し、両者の抗争は1523年の寧波の乱へと発展する。細川氏の庇護下で、堺の商人たちは日明貿易や琉球貿易を通じて莫大な富を蓄積していった。
環濠都市と「会合衆」による自治
戦国時代に入り、幕府や守護大名の権力が衰退するなかで、堺は戦乱から身を守るために町の周囲に深い堀を巡らせた環濠都市となった。そして、会合衆(えごうしゅう)または納屋衆と呼ばれる36人の有力な豪商たちの合議によって都市運営が行われる、日本史上でも稀有な自治都市を形成した。外部からの権力介入を拒む「不入権」を維持し、独自の傭兵を雇って自衛するその姿は、1560年に来日したイエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラによって、「ベニスの如く執政官によりて治めらる」と高く評された。
鉄砲生産と織田・豊臣政権下の堺
1543年に種子島に鉄砲が伝来すると、堺の商人・橘屋又三郎らがその製法をいち早く持ち帰り、堺は近江国の国友などと並ぶ日本屈指の鉄砲の生産地へと成長した。鉄砲という強力な軍需物資と莫大な財力を握ったことで堺の政治的重要性はさらに高まったが、これが天下統一を目指す織田信長の標的となる。1568年、上洛を果たした信長から巨額の矢銭(軍資金)を要求された堺は、三好氏と結んで抵抗を試みたものの最終的に屈服し、直轄領として信長の支配下に組み込まれた。
続く豊臣秀吉の時代には、大坂城の築城と城下町の整備に伴い、多くの商人が大坂へ強制的に移住させられ、自治都市としての性格は完全に失われた。しかし、千利休や今井宗久、津田宗及といった堺の豪商たちは、茶の湯(茶道)の大成者として、あるいは豊臣政権の経済的基盤を支える御用商人として、安土桃山文化や中央の政治に多大な影響を与え続けた。